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・韓国の教育といえば?: 受験戦争:パトカーとか、試験場の前の応援に来たすごい人たち

・そう思う理由は?:学歴社会だから(受験が大事だから?大学のネームバリューですべてきまるから?)

・実際は?:その試験でほぼすべて決まる人が多い(最近は減ってきてはいる。その分前ほどのすごいことに比べると少しは落ち着いてきている感じはある)。(日本のような)中学受験、高校受験は基本的にない→内部上がりなどもない→その分大学受験で決まる

・ 認識の違いの原因は?:日本のセンター試験と同じだと考えるから(短編的に報道されることだけを見て判断するとこうなる)

 

2

・韓国の教育といえば?: めっちゃ勉強してそう

・そう思う理由は?:受験戦争、学歴社会というイメージが強くて

・実際は?:勉強は・・してる。でも東大に行く人とソウル大に行く人を比べてソウル大に行く人のほうが勉強をしているかといったらそういうわけでもない。何が違うかと言ったら、おそらく、他の道ではなく勉強を選んだ人が多いから、なのかな

・ 認識の違いの原因は?:「イメージ」。情報が少ないからこそ、イメージで判断してしまう

 

3

・韓国の教育といえば?: 英語強そう

・そう思う理由は?:なんかペラペラな人が多いイメージがあるから            

・実際は?:英語の勉強は結構させてはいる。ただ、当たり前なことで、みんなが英語好き、みんなが英語うまい、ではない。日本で出会った韓国人の中で、「韓国人=英語強い」というイメージで困る、という話を結構耳にしている。

・ 認識の違いの原因は?:これも、イメージが大きな影響を与えている。「英語を重視していること」そのものはイメージと現実がそこまでずれてはいないものの、そのイメージを拡大して「韓国人だから英語できるんでしょう」ということまでいってしまうと、結構現実との差が出てくる。

 

 

教育の場合、コンテンツなどと比べてその情報量が格段に少なくなる。

前回の「コンテンツ」の場合は、情報源がマスコミなのかネットなのか、などによって流されている内容の違い、情報源としている(主に使っている)人の違いなどによってその差が生まれたが、教育などの社会の一つの分野にその対象が絞られると、そもそもの与えられている情報の量も、情報源も少なくなる。そして同く社会や文化についてのテーマであっても、(これから扱う予定である)食べ物や恋愛など、多くのものはドラマやバラエティー番組の中などでもよく扱われているからまだ触れられる機会は多いが、教育はそのような機会も少ないため、なおさら情報に接することが難しい

面白いのは、韓国という国を思い浮かべたときに結構最初の方に出てくるのが「教育」であることだ。にもかかわらずあまりにも情報が少ない。だからその少ない情報から何かを考えて判断するしかない。例えば、韓国といえばめっちゃ勉強させるイメージがある。そして、毎年大学入試の日にパトカーが受験生を乗せてくれる映像が流れる。センター試験の日に日本ではあそこまではやらない。やっぱり韓国は受験戦争なんだなーとと。少ない情報で正しくない判断をしてしまう「一般化の誤謬」と呼ばれるものの典型的なパターンの一つであるといえる。

与えられた情報が少なくても、あまり話題になることのないテーマだったりすると、話題になることもないため問題となることも少ない。でも韓国といえば受験戦争、みたいな感じで韓国と教育はつながっているテーマとなっているため、このような問題が起きてしまうといえる。教育の研究している人からも「韓国といえば英語だから英語できるんでしょう?英語教育すごいんでしょう?」のような質問をされたことがあるくらいだ。

 

詳しい話を聞く機会があまりないから、一般的なイメージをもとに、限られた情報と自分の置かれた環境(日本)にあてて考えて、判断してしまう。もちろんそれだけだと普段の生活で困ることはないが、くどいようだけど、今は「考える練習」をする時間だから、詳しくわかっていないことをもとに判断することが、どれだけ現実との差を作ってしまう、ということを理解してもらえればうれしい。

 

ちなみに、その判断が人を困らせたりすることは十分あり得る。例えば兄弟は英語ができて自分は苦手で困っている人なら考えてみてほしい。いきなり人に「お姉ちゃんが英語うまいから○○ちゃんも英語強いんでしょう?」って言われたとしたらその時の気分を。。。

やっぱり「一般化の誤謬(早まった一般化)」はあまりいいことではいと、私は思う。