今日は、「私はいない」について。



これを言葉で説明するのは難しい凝視
私自身もまだまだ深まっていないので、
うまくは伝えられないけれど…


でもこれに気づき、
深まっていくと
大きな安心感を得ることができて
色々なことが起きても
この世界を楽しめるようになります
(これからの時代に必要かと)



この在り方を通して
一人一人の個性で
平和や愛、慈しみを表現する。

全人類、悟りへ〜UMAくん気づき



ご興味ありましたら、
お付き合いくださいませニコニコラブラブ

*虚無を感じるかもしれないので、
そういうのが苦手な方はやめておいてね

お花見🌸






私はこれまで
自分を否定し、人生を拗らせ
生きづらくなっていたところから、
心や意識を学び、
現実が変わり、生き方も楽になって
十分、幸せでありました。

でも、
好奇心、探究心から
その先の世界も知りたくなって。

たどり着いたのは、
仏教、禅、悟り。



そちら系のYouTubeや本を漁っていくと、

「私はいない」

というフレーズを聞くようになります。


「私はいない」って、
6〜7年前ハマってた「非二元」で、
その言葉自体は知っていたけど、
いまいちわかったような、わからないようなにっこり







「私はいない」

って言われても、
いや、いるでしょ!
そんなの知ってどうなるの?
と、殆どの方が思うでしょう。


 
そうなんだけど、指差し

私たちが苦しさを感じるのは、
「私が」という自我が暴走することで
苦しみと私を一体化させ、
苦しんでいる私がいると思うからなんです。


 
では、

「私」とは、
どこにいるのでしょうか?
どれを指しているのか?



名前はラベルみたいなものだし、
身体という肉や骨が私?

お喋りしてる脳(意識)にいるの?

魂が私?
ならば、
形がないってことになる。

それらをトータルで私とするなら、
私って「概念」みたい。






違う見方をしてみます。虫めがね



この世界を見渡してみてください。

地球にはあらゆる生物や自然があります。

小さな微生物から
虫や爬虫類、魚や鳥、動物たち
土に海に川に森林、山

それらは地球と共に存在している。


人間も同じ地球上の生物。
地球上にピッタリとくっついてる。

宇宙から見たら
人間も地球や自然の一部で
石ころと人間も大きな一つ





なのに、
人間って、自分達は他の生物や自然とは
違った存在だと認識していたりする。

生き物や自然は背景みたいな



それって、改めて考えると不思議な気がしませんか?

人間もアリと同じ生き物。
アリは「私がいる」と思っているのだろうか。
(左脳が強い方は、屁理屈と感じるかもしれません)


人間は自我が強いので、
自分と他とを分離して独立した存在と捉えています。


でも、赤ちゃんの頃、自我はなかった。

そもそもなかった。




成長の過程で
脳に言語がインプットされ、
個別の名前で呼ばれ、
他者との分離が生まれ、
私のモノと他者のモノ
私と私以外


相対的
比較、競争
正誤、有無
この世のルール
などが洗脳されていきます。



でもこれらは今の社会では必要。

他人のモノも自分のモノにしたら、
ルールに反することになります。





とはいえ、
現代はそのバランスが崩れすぎていますね驚き

比較、競争で
誰もが人より、
早く、沢山、高く
欲しい!という欲求が膨らみ

自分との違いから
正解や正義の押し付けあい

人と違うことが孤立感や不安を
感じさせたり



そうした事から、
多くの人が生きづらさを感じているのでは。




けれど、
その生きづらさは、
冒頭にあるように
「私がいる」
というところから来ています。


私が
傷ついた
奪われた
苦しんでいる


その私はどこにいるか。




これ、思考と本体が一体化しているから
なかなか受け入れ難いけれど、

*本体=それ 便宜上、本体とか本当のわたしと表現します


「私はどこにいるのか?」

と言う問いに、
明確にくっきりと
私という存在を表すことはできましたか?


なんとなく境界がなくて
身体に意識が重なってるかのように
私がそこに存在しているような感覚はあるけど
でも、身体はあなたではないし、
脳(意識)も違う、よね。




傷ついた、というのは
育つ過程で得た、ストーリー、
価値観とか判断基準から
そこから身体が反応して感情が起こり、
思考が
「私が傷ついた」としてその質感が起きてる。



それを「本体」がみている



奪われたというのも、
本当に変な言い方に聞こえると思うけど、
事実だけを見るとモノが移動した
ということになる。



一つ、
ここで気をつけないといけないのは、


「私はいない」

というのは、
新しいメソッドでもないし、
概念でもなく
超自然というか。


だから、
自分の都合の悪いことと向き合わず
逃げるためのものじゃない。





思考や感情は、
人間という器に起きている現象みたいな感じ。

脳の神経回路が発火して思考が湧いている。



この表現は、
なんだか虚しくなるかもしれませんが、



ネガティブな思考が湧いても
これまでは、そこから自分に起きていること
というストーリーに埋没し、
感情が乱され、
また、内観し、本音を探り
信念を変え、、、

でも感情に引っ張られて
なかなか手放せない〜泣き笑い
周りは変わって来てるのに〜泣き笑い
とか、そんな一連の取り組みをしていたとこから、


思考・感情が私ではない

そんなふうに思考との一体化から脱却し
眺めることができるようになると
楽になる。

で、
やりたいことをしよう!と
切り替えが早くなります。



これは
思考パターンを変える、
とかではなく、


真実。



自我の暴走・エゴが
それを見えなくさせていただけで
私たちってずっと
実は悟りなんです。(って凝視
(ちなみに生まれてもいないらしいが、ここら辺は私にはわからない)



そもそもずっとそれ。

私たちはそもそもそれ。



エゴで目隠しされてたような感じ?


とは言え、
自我は無くそうとしなくていいし
なくせるものじゃない。

思考は道具。

この自我の暴走、エゴによる支配から
脱却する。





ちなみに私(千秋)は、
このことにおいて
まだまだ深まっておりません。昇天

そうなんだね、という感じではある。

だから、「私が」という自我での発想に
寄ってる時間の方が多い。



わかった人たちの話を何度も聞いてたら、
あるとき、

なーんだ!そっかー!!(脱力〜)

ってなったりしたけど、
ワンネスとか一瞥体験みたいなことはなく。


でも、それへの執着はだいぶ減って来ました。
(気づく度に脱力する、笑えてくる)



だって、そもそも悟りで

「それ」なのだから。



となると、
勝手に安心感が湧いてくるし、
勝手にエゴが弱まる。







とは言え。指差し

思考・感情の重しが大きい段階では
受け入れ難い。

各々のペースを大切にしながら。


津留晃一さんによれば、
全人類、悟りは約束されたものらしい。

だって、そもそもそれだからなぁ・・・にっこり




これからはそんな
「わかった人」がどんどん増えるらしい。

旅系YouTuberの「スーツさん」という方が
その様子をリハックで表現されていたので
気になる方は見てみてねニコニコ





文字で表現するのは、難しいし
私の語彙力やら表現力が乏しいので
伝えたいことが伝わったか・・・魂が抜ける


良かったら
私は、こうだよー!とか
別の視点も教えてくださいニコニコ飛び出すハート




また私のプロセスをブログにしますね

今日はこの辺で〜ピンクハート






 
  

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