この日、東宝シネマズ仙台に着くと、5月10日より上映の「猿の惑星·キングダム」を大々的にPRしていた。



で、今回わたくしの目的は、3回目となるゴジラ−1.0鑑賞。


スティーブン•スピルバーグ監督が、この映画を3回鑑賞しているので、それに並びたかったという思いもあった。なかには、9回目、10回目という強者もいるが。



先月、米国アカデミー賞視覚効果賞を受賞。現在凱旋ロングラン上映中だ。



時計の目覚ましをセット


なんと、朝8時35分の早い時間の上映。この上映時間に間に合うよう、前夜時計の目覚ましをセットして就寝。


映画を観るために時計の目覚ましをセットしたのは生まれてこの方初めのこと。




またしても号泣


初回と2回目は人目をはばからず大号泣。ゆえに今回は泣くまいと決めていた。


しかしながら首都東京が大戦により焦土と化したシーンに、我慢しきれず、またもや涙腺崩壊。


スクリーンいっぱいに映し出されるガレキの山が東日本大震災、元旦に起きた能登半島地震、さらに今回は先日発災した花蓮の地震がクロスオーバー。


そして物語が進むにつれ前回、前々回と同様、今回も再び下述を想起。


大戦中、フィリピン海域を航海中、米軍に撃沈され、海に散った叔父。まだ22歳の若さだった。遺骨は戻らなかったので、叔父の御霊は靖國神社でしか会えない。


女子挺身隊として東京の軍需工場で勤労していた当時十代の母。


大戦中、2度も派兵され、死と隣り合わせの激戦を幾度も経験し、奇跡的に帰還を果たした知人の祖父。


金門島砲撃戦の戦況をありありと話してくれた職業軍人だった台湾の義父。


これらが頭の中を駆け巡り、もう我慢しきれず涙がとめどもなく流れる。流れる。


台詞の数々にグッと来る


戦争で生き残った負い目、自責の念、心的外傷後ストレス障害、いわゆるPTSDを患っている主人公敷島浩一に、典子の返した言葉「生き残った人間は、きちんと生きていくべきです!」


海軍工廠•元技術士官の野田健治は、ゴジラとの決戦前日集まった有志たちに「これまで、この国は命を粗末にしてきた。今回の戦いは死ぬための戦いではなく、未来を生きるための戦いです!」


「民間主導の本作戦では、一人の犠牲者も出さないことを誇りにしたい!」



生きろ!


海軍航空隊元整備兵の橘は、大戸島で部下兵らをゴジラに殺され、その原因を作った敷島を強く憎んでいたが、ゴジラとの決戦を控え、局地戦闘機震電を修理し、操縦席には脱出装置をも施し「これで全て終わられるんだ。生きろ!」と、敷島を送り出す。


ゴジラを沈め、帰還した敷島に、典子は「浩さんの戦争は、終わりましたか?」


3回鑑賞して、やっと気づいたことがある。遅ればせながら、やっと気づいた。この映画はゴジラ−1.0という戦争映画だったのだ。




三浦春馬が浮かんでくる


今回もやはり、本来なら、あの局地戦闘機震電の操縦桿を握っていたであろう三浦春馬が再び脳裏に浮かんできた。


それでも、敷島浩一を演じた神木隆之介の鬼気迫る演技は圧巻であった。お見事!


三浦は生前、神木と親交深く、また、神木は三浦を慕っていた。


本作の米国アカデミー賞視覚効果賞受賞を最も喜んでいるのは、三浦だろう。


改めて思う。前回のゴジラ記事と同じことをいうが、三浦春馬にはゴジラ−1.0の如く、生きて抗ってほしかった。合掌。