天は、ユキヒロだけでなく教授も持って行ってしまった。



上から教授2作目のソロアルバムB2ユニット(1980年)と、世界のサカモトとなった出世作、戦場のメリークリスマス(1983年)


大島渚監督とデビットボウイ、そして教授も世を去り、戦メリで存命なのは北野武だけになった。




教授の歴史観、政治的思想、主張は、保守派のわたくしとは相反するものだったが、だからといって教授に対する尊敬の念は変わることはなかった。これからも。




もう三人でのYMOは見られない。細野さんが悲しみに暮れているのは察するに余りある。


細野さんには、二人の分まで長生きしてほしい。



1981年、わたくしが高校2年生時に行ったYMOライブを思い出される。当時はまさか仙台にYMOが来るとは思わなかったので、実際に来た時は望外の喜びであった。


また、1990年東京中野サンプラザでの教授のソロコンサートに行ったのは、終生の思い出だ。


教授は、きっと今頃天国でユキヒロやデビットボウイらと再会し、懐旧談に花を咲かせているだろう。



教授、音楽の素晴らしさを教えてくれて、ありがとう。


合掌