宮城県北部の石巻。

目指すは慶長使節船サン·ファンバウディスタ号の停泊所へ。





今から400年前、中央江戸幕府ではなく、東北の一地方·伊達藩が外交を目的に、実に7年間に渡る大航海を果たしたのは驚嘆する。



目指すはヨーロッパ

伊達政宗の名を受け、支倉常長率いる約180人の使節を乗せたサン·ファン·バウディスタ号は、1613年10月、月浦(つきのうら)を出帆。


幕府には隠密で伊達藩独自による欧州派遣と思われがちだが、事実わたくしの小学校時代は授業で伊達藩独自によるものと教わった記憶がある。


だが、幕府役人10名や全国から募った商人たちも乗船していたこと。


そして、スペイン人船長のセバスティアン·ビスカイノは、時の将軍徳川家康と知己の仲であることから上述の説は覆された。



使節団一行はメキシコ、キューバ、スペイン、イタリアを歴訪。

スペイン滞在中、常長は修道院でカトリックの洗礼を受ける。

改宗した理由は、その後の交渉を有利に進めるため。純粋に信仰心から。と、諸説あるが、常長の胸の内は、その両方にあったと思う。

常長は粉骨砕身交渉にあたったが、幕府のキリシタン弾圧と鎖国政策が交渉国にも伝わっており、何ひとつ成果を上げることができないまま、一行は1620年9月、7年ぶりに帰国した。


岩倉具視らを勇気づける

明治に入り、岩倉使節団は欧州歴訪で常長が遺した文書を目の当たりにし、自分たちより遥か250年前、事を成し遂げようとしていた先人たちの足跡に大いに勇気づけられたという。


1993年復元されたサン·ファン·バウディスタ号。老朽化が進み、残念ながら現在船内見学は不可。


400年前当時船内では、スペイン人乗員の食料用に豚が飼われていたという。

当時四つ足動物を食べる習慣のない日本人の船員も長い航海に耐えるために食していたこと思う。

また、食材には漬物が多く積まれており、ビタミンC不足による壊血病予防になっていたはずだ。



写真は復元されたばかりのサン·ファン·バウディスタ号だが、出帆中の勇姿を実際に見たかった。



人類学者の中沢新一先生は、伊達政宗の発想と行動力こそ今の日本に必要。と語っている。

わたくしもそれには同感である。

疫情がより一層深刻さを増し、がんじがらめの日本。

ずば抜けた先見の明と行動力、スケールの大きい世界観を持っていた政宗の知恵を拝借したいところだ。

きっと政宗は今頃、日本の置かれた状況を憂い、鋭い独眼竜で常長とともに睨みを効かしていることだろう。


出でよ、現在の政宗、常長