近付きたいのに突き放す
生きていたいのに死にたい
大好きなのに大嫌い
欲しいのに欲しくない
このように、正反対な想いが同居し、ジレンマを起こすことがあります。
死にたい
と口癖のように放つ方が生きていくにはどうしたらよいのでしょうか。
欲しいのに欲しくない
と、欲しいという思いを打ち消してしまう人はどうしたらよいのでしょうか。
カウンセリングでは
「なぜ打ち消すような言葉を自分に発してしまうのか」
という事を丁寧に探っていきます。
とても矛盾しているように感じると思いますが、
人は「生き延びるために否定的な信念」を持つようです。
幼い頃虐待を受けたり、
間近で目撃していた方であれば
「怒りを出してはいけない。もっと殴られるから」
「怒りを感じてはいけない。出せなくて苦しいから」
「口答えしてはいけない。もっと長引くから」
「怖いけど、明るく振る舞わなければならない。そうしないと家族の空気が悪いままだから」
という考えを持つかもしれません。
そして、「私は素直に感じてはいけないんだ」「私には価値がないんだ」「私は生きていてはいけないんだ」「無力な自分が嫌いだ」などと、否定的信念を持つようになる可能性があるのです。
虐待を受けた子供が虐待している親に接近するという現象も、「虐待」という脅威に対して愛着ニーズが高まるためです。
皮肉にも、目の前の虐待者である親に「助けて欲しい」という愛着ニーズを持つため、加害者に接近してしまうというアンビバレントな状況を引き起こすのです。
このようなアンビバレントな愛着を繰り返して来た子は、大人になった際
「守って欲しいけど傷つくのが怖い」と、高い愛着欲求と強い恐怖が同居し、危険な異性関係や傷付きながらも離れられないという対人関係、愛情を示してくれる人に試し行動を繰り返す、という不安定な対人関係を持つようになります。
幼少期に大きな出来事が無くても、何らかの事件、出来事、病気などから性格がガラッと変わり別人のように塞ぎ込んでしまうという事もあります。
信念とは、思考の部分です。
生きたいという思いは、本能的な欲求です。
死にたい、幸せになりたくない(なれるはずない)と思っている方は、身体は生きようとしていることに意識を向けてみましょう。
そして、身体の声に耳を傾けてください。
まず、心臓に。
「生きたいの?」と。
私達は生まれながらにして、生き延びるようプログラムされています。
脅威から逃れ、生存確率をあげようとする本能を持っています。
そんな本来の力を阻害しているものは何なのか、偏った信念はどこから来ているのか、それがもし取り除かれたとしたらどのような生き方になるのかイメージしてみましょう。
「生きたい」
「家族の側にいたい」
「愛されたい」
「会いたい」
純粋な望みがほんの微かでも光った時、それを掬うことが出来たら何かが変わっていくでしょう。
私達は、生きるために生まれて来たのですから。