今日は「私の生い立ち」をお話します。

 

自己紹介でも少し触れましたが、私は機能不全家族で育ったアダルトチルドレンです。

兄弟は、弟が1人居ます。

 

幼少期は父方の祖父母と二世帯住宅で暮らしていて、母と祖母は関係性が悪く、祖母はいつも母を攻撃していました。

 

幼いながらに「母が可哀想」「私が守らなければ」と感じ、もう少し大きくなると祖母に楯突くようになり、そんな私に対して祖母の態度はキツく、掴み合いの喧嘩をした事もあります。

 

更に、私が幼稚園〜小学生の頃、母は弟には甘く、私には厳しく接しました。

理不尽な場面で強く叱られ、叩かれた記憶が鮮明に残って居ます。

 

その時の母の表情、怒鳴り声、手が飛んでくる時の身構える恐怖、いつ終わるんだろう…という絶望感。

 

勿論、辛く苦しい場面だけでは無く愛された時間も楽しい時間もあり、夏休みになると毎年家族で海の見える民宿に宿泊したり、キャンプをしたり、父とは釣りをしによく出掛けました。

 

しかし未熟な私は思春期になると「私は愛されていない」「生まれない方が良かった」「居場所がない」「誰も理解してくれない」という思いをより強くしていったのです。

 

私は言葉の多動(衝動性)があり相手のペースを考えずに喋り続けてしまう子供で、母からは「出た」「お喋り女」「喋るなって言ってるのにすぐ喋る」と、弟と母が私を見てあざ笑っているような場面が記憶にあります。

母が小学生の私につけたあだ名は「お喋り女」でした。

 

嫁姑問題から両親の不仲が悪化すると何度も離婚騒動に発展し、その度に私が2人の間を取りもち、離婚しないで!と母を説得しました。

 

しかし母は私に「あなたはパパの所に行きなさい。あなたはパパの味方みたいだから。私は息子(弟)を連れて家を出ていく」と言いました。

その言葉は、母に見捨てられたという気持ちで、悲しく、その後の人生も引きずる事になります。

 

私にとって両親が喧嘩をしている声を聞くことは恐怖で、幼い私は布団を被り「誰か助けて」と呟きながら泣いていました。

 

この孤独感の中、支えになったのが母方の祖母の存在でした。

 

祖母の家に泊まって祖母が添い寝をしてくれていたある夜、小声で祖母がこう呟いたのです。

 

「ばあちゃんはね、ゆきちゃんが世界一好き。弟よりもね…。内緒だよ」

 

私は嬉しくて「うん。」とだけ返事をして頷きました。

 

「私は母から愛されて居ない」そう確信していた私は、祖母の言葉に救われたのです。

(母も、決して私を愛していないわけではなかったのですが…)

 

結局、両親の仲を何とか取りもち離婚は避けられたのですが、父方の祖母と別居を開始しても両親の不仲は解消されませんでした。

 

母の父に対する罵声が飛び交う空間が苦痛で、中学生〜高校生の頃は夜にこっそり抜け出して自転車でひたすら夜の町を走ったり、友人と夜の街へ行きストリートミュージシャンの歌を聴いたり、ひたすら現実逃避をしていました。

 

アダルトチルドレンとは「愛着障害」なので、対人関係でも困難な場面が多く友人と衝突を繰り返すことも多々ありました。

 

友人との距離感が掴めず、近づきすぎたり、離れすぎたりしてしまうのです。

 

続く…

 

 

 

 

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