○ 晴天に息吹く 桃花の”つぼみ” にかこまれて ”ひなたぼっこ”の”すずめ”さん
明けましておめでとうございます
新しい年を迎え 誠に めでとうございます。
日々充実して よい年にしていきましょう。
年の初めに当たり 興味深い一話に出会ったので紹介します。
この一話が載っている本の出処は、
数年前、田舎の”家じまい”で 本類を片付けている時、
ゴミ行きへ分別の 黒い煤(すす)けた古本、
「人の心」のネーミングが気にかかり他の本と共に持ち帰る。
まあ暇になったらいつか読んでみようと思っていた。
暇になったわけではないが、この古本 よく目の前に現れる。
魅せられる。
深い。
-- 雨傘の用意 --
木戸孝允の養子 正次郎、会って宮城時助と未来生活の有無について激論する。
孝允これを聞いて先ず正次郎に問う。
『汝は有ると言うのか、無いと言うのか。』
「はい無いと存じます。」
『屹度(きっと)無いと言うのか。』
「屹度と申して実験したことがないのですから、マアないだろうと思うのです。」
『宮城君は何と思うのか。』
「私は有ると信じます。」
『屹度か。』
「屹度とおっしゃっては困りますが、マアあるだろうと思います。」
『それでは二人とも、だろう議論だね。』
「そう言えばそんなものです。」
『そんなら今外へ出ようとするのに、空が曇って居るで、
雨が降るだろうか、降らぬだろうかとの争いと同じようなものだ
・・・ そこでこの場合、お前方は雨は降ると決めて傘の用意をして
行くか、降らぬと決めて傘も持たずに出るかどうか。』
「それは降ると決めて傘の用意をして参ります。」
『そんなら有ると決めて地獄へ落ちぬ用意が肝要じゃないか。』
これは伝聞の一話なれど、この事若し真なりとせば 木戸孝允は
人生観において確かに一隻眼を有するもの。
死後の問題は死後の問題にあらずして現在の問題なり。
極楽地獄の説は常に現在道徳と因果的関係を有す。
現在における我が行動にして俯仰天地に恥じずんば 地獄有と言えども
何の恐るる所かあらん。
傘は手にあり、降雨また何かあらん。
人の心 加藤咄堂著
昭和4年初版 昭和14年八十版
206ページ霊魂の項の一話
(文章は現代風へ略改)
