○ 梅雨の合間 お日様にかがやくあじさいにいやされて
○ 起承転結4コマの流れにある登場者のそれぞれの個性を感性豊かに表現し描いている。
ストリーもおもしろく世上を明るくする河北新聞の連載で、ぴよちゃんとねこの又吉をメインに展開する。
七月
夏っ子は七十五回目の誕生日をまもなく迎える。
梅雨時の晴れ間が何とも愛(いと)おしいこの頃である。
そして新型コロナウイルス騒動はたくさんの人を恐怖に落とし入れている。
見えない敵ウイルスの収束の兆しは見えていない。
◇
数年前、「生命とは生命力とは何か」そして「生きる生きている」とはどういうことなのだろう、科学とも哲学ともつかない漫然とした思いの中、講談社現代新書 福岡伸一著【生物と無生物のあいだ】に出会う。
歴史と科学を文学的趣向で誠におもしろい。
ちょっと長文になるが【ウイルスは生物か?】の一節の部分を紹介する。
ウイルスを初めて電子顕微鏡下で捉えた科学者たちは不思議な感慨に包まれたに違いない。ウイルスはこれまで彼らが知っていたどのような病原体とも異なって、非常に整った風貌をしていたからである。斉一的すぎるとさえいってもよかった。
科学者は病原体に限らず、細胞一般をウエットで柔らかな、大まかな形はあれど、それぞれが微妙に異なる、脆弱な球体と捉えている。ところがウイルスは違っていた。それはちょうどエッシャーの描く造形のように、優れて幾何学的な美しさをもっていた。あるものは正二十面体の如き多角立方体、あるものは繭(まゆ)上のユニットがらせん状に積み重なった構造体、またあるものは無人火星探査機のようなメカニカルな構成。そして同じ種類のウイルスはまったく同じ形をしていた。そこには大小や個性といった偏差がないのである。
なぜか。それはウイルスが、生物ではなく限りなく物質に近い存在だったからである。ウイルスは栄養を摂取することがない。呼吸もしない。もちろん二酸化炭素を出すことも老廃物を排泄(はいせつ)することもない。つまり一切の代謝を行っていない。
ウイルスを混じり物がない純粋な状態にまで精製し、特殊な条件で濃縮すると、「結晶化」することができる。これはウエットで不定形の細胞ではまったく考えられないことである。
結晶は同じ構造を持つ単位が規則正しく充填されて初めて生成する。つまり、この点でもウイルスは、鉱物に似たまぎれもない物質なのである。ウイルスの幾何学性は、タンパク質が規則正しく配置された甲殻(こうかく)に由来している。ウイルスは機械世界からやってきたミクロなプラモデルのようだ。
しかし、ウイルスをして単なる物質から一線を画している唯一の、そして最大の特性がある。それはウイルスが自らを増やせるということだ。ウイルスは自己複製能力を持つ。ウイルスのこの能力は、タンパク質の甲殻の内部に鎮座する単一の分子に担保されている。核酸=DNAもしくはRNAである。
ウイルスが自己を複製する様相はまさしくエイリアンさながらである。ウイルスは単独では何もできない。ウイルスは細胞に寄生することによってのみ複製する。ウイルスはまず、惑星に不時着するように、そのメカニカルな粒子を宿主となる細胞の表面に付着させる。その接着点から細胞の内部に向かって自身のDNAを注入する。そのDNAには、ウイルスを構築するのに必要な情報が書き込まれている。宿主細胞は何も知らず、その外来DNAを自分の一部だと勘違いして複製を行う一方、DNA情報をもとにせっせとウイルスの部材を作り出す。細胞内でそれらが再構築されて次々とウイルスが生産される。それら新たに作り出されたウイルスはまもなく細胞膜を破壊して一斉に外へ飛び出す。
ウイルスは生物と無生物のあいだをたゆたう何者かである。もし生命を「自己複製するもの」と定義するなら、ウイルスはまぎれもなく生命体である。ウイルスが細胞に取りついてそのシステムを乗っ取り、自らを増やす様相は、さながら寄生虫とまったくかわるところがない。しかしウイルス粒子単体を眺めれば、それは無機的で、硬質の機械的オブジェにすぎず、そこには生命の律動はない。
ウイルスを生物とするか無生物とするかは長らく論争の的であった。いまだに決着していないといってもよい。それはとりもなおさず生命とは何かを定義する論争でもあるからだ。
如何でしたでしょうか!ウイルスの様相は。
ウイルスは単独では何もできない、細胞に寄生して目を覚まし元気づきどんどんどんどん増殖していく。
昔、SF動画でエイリアンの恐ろしいいやな世界を見た。ミクロの世界ながら今起こっている状況がよく似ている。
新型コロナウイルスの感染防止、それぞれが自らの対策を行使することが大事だ。梅雨時の有り様、感染症対策、一線を退いた自由人は晴耕雨読を上手に使い分ける環境にあっていいが、現役でバリバリ働かなければならない仕事人は現実をわきまえて工夫して頑張ってほしい。

