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 ○ 震災7年 お昼の公園には早くも(紅あせび)が微笑んでいる.
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 ○ 同じく並んで(白あせび)が微笑んでいる.


振り返る

今、20183111446分、目をつむり手を合わせる。
あの大震災から7年。
津波で被災された海辺の方々の思いは変遷する。
悪夢の被災に海を海岸を恨んだ、
そして津波に負けない広大な防潮堤整備に復興予算を充てた、
一時古里を離れ、復興が進みいずれ戻れる日を待つ。
様子を見に訪ねて、違和感と圧迫感の思いで戸惑う。
かっての天然自然なる海辺は隠れ見えなくなる。
こんなはずではなかったと悔やむ。
生きて百年、残された日々を、いつか来る津波のための備えに、ハードで
ハードなる家屋を守るか、津波は逃げる相応の猶予時間を与えてくれる。
フトなる心は、日々何時でも天然自然なる懐に抱かれて暮らしたい。
防潮堤工事が進んでいない。

僕は震災4ヶ月後には第3の職場に赴いていた。 
あれから歳も七つ増え、多くの思いがよみがえってくる。
概要
東日本大震災、
20113111446分、
三陸沖、深さ24km、マグニチュウード9.0、最大震度7、
大多数の人が高さ10mにも及ぶ津波で亡くなった。
22,000人を超える死者行方不明、中でも宮城県が10,000人を超える。


◇震災当日
3月11日、あの日は土曜日、母の米寿のお祝いに家族4人は、松島のホテルへ着いて、父と風呂に行こうとしていた時に地震は発生した。
その時の事を震災1ヶ月後に2011311日の現実】で振り返っている。
4人は急ぎホテルを出て帰路仙台へと、車を国道45号線へと走らせるが、
塩釜で車列に追いついた途端、何を思ったのかUターンしていた。
(生きている)


◇震災1週間
復旧はお客様の輸送手段確保が最優先である。
調査に新幹線高架橋に立入り調査に入った。
トローリ線を支持する柱(電車線柱)が、示し合わせたようにものの見事に倒れ、かろうじてケーブルで支えられている。
そして生活面では水の確保に食糧の確保に走り、そしてガソリンの確保には
暖房の無い車内で夜並んで待った。
停電で星明り月明かりが冴え、幻想的な夜であったのを今でも思い出す。


◇震災2週間
震災から2週間、復旧に走る現場社員には、見えないストレスがところどころに現れてくる。【復間】


◇震災3週間
震災から3週間の復旧の最中、東海研究会では祖霊祭が開催される。
周りからは、事情を話して行けない旨を連絡したらと勧められる。
神事の司会をお願いされ、今回訪れれば5度となる。
どうしても行きたい、何とかして行こう、そして準備を重ね念願がかなう。
東海研究会祖霊祭の紀行を【東に記す。


◇震災7週間
翌月に祖霊祭を控え4月の研修会を開催する。
未曾有の被災、見える被災津波、見えない被災原発の憂う心を思い出す。