明日は6年目の3.11
(検証)
12時半過ぎ携帯が鳴る。
( 着いたよ、早くきて)<了解今いく>
休暇を取っていたのだが、今週中に提出する書類が残っていた。
もちろん昼食は取っていない、作業服のまま迎えの運転席に滑り込む。
《 ごくろうさん 》後部座席の93歳の父がにこやかに迎えてくれる。
察し良く家内はパンと牛乳を用意していた。
家族で温泉に行く、母の米寿のお祝いのスタートが切られた。
扇町の会社を発ち、45線は多賀城、塩釜を後にして松島の海が見えてきた。
天気もいい、時間も十分にある、みんなで八百八島の松島をながめようと、
松島に入る手前にパノラマラインを経て山手に「西行戻しの松」なる見事な景観の高台に
寄り、そして僕はそこで着替えた。
*1【拠り処】
2時少し過ぎにホテルに到着、部屋に入り一呼吸、3階から見る海は雄大だ。
僕と父は先に温泉に浸かるべく着替えに取り掛かかるが、支度に手間取り部屋を出ようと
した時に、大きなゆれが来た。
僕と父は浴衣の上に上着を羽織り、靴は右と左の反対で手間取る中、避難所への送迎バス
に乗り込む人達を脇目に、4人は一目散に車に乗り込み帰路に向かう。
*2【間髪を入れない判断誘導】
小みぞれのどんよりとした寒空に45線を仙台に向かって走る、左手には広々とした
普段の海が、車の通りは少ないが塩釜の街に入る辺りに渋滞集団に追い着いた。
うあ!これじゃあ何時家に着くかわからない。
とっさに、引き返し山越えをしようと思い立った。右手に広い入口の魚加工場がある、
対向車は見当たらない、今がチャンスとUターンしてまた松島方へ車を走らせる。
右手の海岸に水が無かったのを何気なく覚えている。
*3【ただ早く帰りたい】
パノラマラインの入口に無事辿り着き、ほっ!と安堵、しかし道路には亀裂ができ落石が
散らばっていた、が何とか通り抜けられた。右手に「西行戻しの松」を見て山越えし利府
街道に入った。帰路、利府の新幹線車両基地付近から渋滞となるも、如何ともしがたい、
わき道も車で溢れているから・・・・・・・・・
検 証
*1【拠り処】
西行も戻されたと言うあまりにも美しい松島の風景が見えるこの高台、節もよく山育ちの
父母に見せたかったし僕も見たかった。この処が重要な避難経路となった。
*2【間髪を入れない判断誘導】
とっさの時の家内の判断と統率力に感服する。後で聞くに避難所に行った方達はいろいろ
と大変だった事を伺う。
*3【ただ早く帰りたい】
これは僕の単純な思いで、津波の被害を想定できていない、あのまま車の渋滞列に追従し
ていればどうなったか測り知る、4人にはまだ役割が残されていたのだ。
改めて現象背後の存在に強い思いを抱く。
明日の6年を機に、当ブログ2011年4月15日投稿“2011年3月11日の現実”をどうぞ。