
○ 朝日を満面に受け輝く(庭)

○ 六月の花、雨に咲く「紫陽花」の七変化に潤う(庭)
時の流れ
◇整理
修行とはまだ達し得ぬ事象への誘いなのだろう。
今月末をもって四年間の三節終了を迎える。
大企業の傘下にあるとは言え、一節二節とは異なる中小企業の営業所、
雑多を自ら仕上げなければならない忙しさがあった。
身辺整理とは言え、三十数年の一節、十年の二節から比べれば些少だ。
間も無く古希「公」を退き「私」を緩やかに過ごしたいと考えた。
一節二節でお世話したであろう工事会社より四節への誘いを受ける。
安全担当部署の充実が目的と言う。
一節目はまだ緩やかな時代背景から伸び伸びと仕事ができた。
二節目の仕事場では「安全」に関してことごとく嫌気を覚えていた。
それは現場を知らない系列から無理難題の安全指導であった。
形骸と責任の範疇で聖域化した「安全」に、
現場が翻弄されてきたのを僕は知っている。
真の安全とは、うーーん、
さてや如何に。
◇想い
人格、霊格共に優れた高級霊媒を介した交信事実に、
次元は異なろうが連綿と継がるこの世とあの世を知る。
そして更にあの世を学ぶ。
それはやがて訪れる先の予習である。
予習は新鮮である。
それはまだ見ぬ新しい発見があるから。
一方、
過程として、智情意の働きを確かなものに継いでいく復習がある。
これは地味なれど、道を誤らないための大切である。
短い人生を思えば、道理にかなわぬ努力はもったいない。
選択肢は自らにあり、結果として己(智情意)を創り上げていくから。
あの世に持ち行く己(智情意)を充実させたい。
この事に気づかせてくれるのが心霊の学び。
◇龍信
身体は心の趣くままに成るもの。
敷かれた道に素直に努力するのじゃ。
身を粉にしてやらねばならない時もある。
身体は痛まない。
痛むどころかそれをやり終えた心は身体を整える。
“心身一如”、人生を楽しむのじゃよ。