
○ 朝のウオーキング、すがすがしい絶妙のコントラストに生きている喜びを感じざるを得ない。

○ 雪に埋まった百年百坪のたたずまい、春の息吹に囲まれて遅い囲いほぐしははかどる。

○ この 調和した美しさを誰が雑草と呼ぶだろうか。
4月期研修会報告
4月26日、松尾神社に大畑先生をお迎えして開催した。
参加20名、
午前の勉強会は「心霊研究」4月号掲載の抜粋(下記)にて座談した。
納得し得ただろうか。
投げかけた僕自身、「晴天の霹靂」を覚えない。
この大事な連載に心から浸透して入り込めるようにと問いかける。
我々は物質の世界に住み、活動し、そして存在を保っている。
この物質と呼ぶものはある固定した範囲内で振動する実態をもって構成されている。
我々は物質の中で生まれ、そこにはありとあらゆるものが包含されているかのように
受けとめているが、実際のところ、物質の世界は見えるものとはいかにも異なっている。
物質は非常に硬いものと見られがちであるが、実は少しも堅いものではないのである。
たとえば、我々がテーブルや椅子を見るとき、我々が見ているのはある数の(電子)の
振動であって、その(電子)は(核)を中心に恐ろしい速度で回転しているのである。
物質は(原子)でできており、これらの(原子)は主として(電子)と(陽子)に
よって構成されているのである。
ひとつの(原子)の中にある(電子)の数で物質の名称が決まり、
その重量は(陽子)の数で決まる。
たとえば鉄の場合には、いつも26個の(電子)が(核)を中心にして周囲を廻って
おり、そして結果として、鉄でできている何かを見たり取り扱ったりするとき、
我々は鉄という名を与えたところの何ものかを感知するのである。
正確に言えば、我々の眼がこれらの(電子)がつくりだすところの振動を感じ取って、
我々は鉄というものの心像をつくるのである。
我々の触覚も同様であって、これらの(電子)がつくる振動を受け、熱や冷たさの感覚を
与え、他方(陽子)の数は我々に重さの感覚をもたらすのである。
上記はアーサー・フインドレー著 霊界へつづく“人生の道”(三)
「心霊研究」4月号の掲載になる。
霊界の住人(波動広範精緻)の語りかけが、我々(波動狭域粗)の感知
し難いところの溝を埋める架け橋に、“振動(波動)”という言葉が
非常に多く使われる。
物理学としての“波動”なる予備知識をもって内容理解の鍵として
ほしい旨を記している。
思えば昔、理科で地球、太陽系、銀河系なるマクロの宇宙を教わった。
五感で感知し得る遠大な銀河系、太陽系の星たちに、偉大なるロマンに
見舞われ人生を育んでくれた。
一方、分子、原子、核、電子、陽子のミクロ世界も教わった。
しかしそれは別世界で身近なものではなかった。
我々の五感で認知できる領域は限られているのを知っている。
しかしそれは日常生活に何ら不便を感じず間に合っている。
従って改まっての問いかけは半信半疑ではなかろうか。
現代科学で解明できない世界、
いわゆる人智を超えた世界に我々が存在しているのを知っている。
そしてその中で生きている事も知っている
それは神秘として、
神々しい畏敬の念を抱き、
潤う人生のバックグランドとして雄大とてつもない。
このこと自体、あの世の広範精緻な波動を“気”として享受している。