イメージ 1
 天然の美
 
イメージ 2
 心の美
 
                      夏の終わりの週末
 
 週末その一
 
 ◇  海釣り
週末、かねてから誘われていた“めばる、あいなめ”釣りにいく。
朝三時半外は暗い、日の出は確実に遅くなっている。
自宅前に迎えの車が待っていた。
玄関には昨夜準備したクーラーと長靴、帽子、軍手、タオル、ビニル袋、
そして大事な酔い止め薬がザックと一緒に並べてある。
釣竿も仕掛けも餌も全て先方が用意している。
実に“おんぶにだっこ”とはこの事と恐れ入る。
 
四時、暗がりの塩釜港は船明りと釣り人で行き交っている。
酔い止めは飲んだ、天気もいい、今日は大丈夫。
魚場まで一時間余り、船室でうとうとと横たわる。
 
「着きました」の声で起き上がり準備していた釣り席に向かった。
笹船のごとく左右に揺れている。
 
“だめだ”吐き気が抑えられない。
 
スタートは仕掛けの疑似餌で釣る“めばる”の魚場。
無我夢中でただ竿糸を落とす。
 
数分もしない内、手ごたえらしき感触で無意識にリールを巻く。
隣の糸と絡まりながら三匹の“さば”が掛かっていた。
酔いの苦しみは何もできない「針を外せない」「糸を解せない」
同じく青ざめた顔を堪え隣の友が処置してくれた。
 
吐き気をこらえ“ぼーーと”釣り糸を落とし立っている。
“あいなめ”の魚場に移って、餌は小さなミミズのような“あおいそめ”
とても付けられない。
この苦痛、釣りも何もどうでもいい。
隣の友には、“疑似餌で釣りたい”とそのまま竿糸を落とす。
長い長い時をを感じる。
 
数年前の真冬、十二月三十日の“カレー”釣りの思いがよみがえってきた。
広大な大海原に船出し、友と釣る喜びを胸に描いて行ったのだが、
船酔いの苦痛の一日を思い出した。
金輪際、船釣りには行くまいと心していた。
 
“三歩歩けば忘れる”と言われる“酉年”生まれの“にわとり”、
それに根性無しでいい加減な末っ子、
夏っ子の夏だからと再び行ったのである。
 
 写真
  ただ、大海原の美しい写真だけは撮りたかった。
  二十数コマの美しい壮大な一枚をどうぞ。
 
 週末その二
 
 ◇  初秋のしらべ
僕が釣れなかった“カレー”、はおばあちゃんが塩焼きにしてくれた。
おじちゃんと舌づつみして晩酌をいただく。
友よありがとう。
 
一晩寝て元気回復、午前中のメールアドレス変更等の所用を済ませ、
近くの市民センターで開催されるジャズコンサートに出かける。
今年で三年目、三回とも訪ねる機会に恵まれた。
東北学院大のOBで結成された六十数歳のミュージシャン達は若々しい。
聴いている方はうれしいが二時間連続の演奏はさすがに厳しいと思った。
結成以来の思い出等ジョークを交へ間を取り疲れも見せず演奏して下さった。
  昨年と同じ一番前のイスに家内と並ぶ。
  年は別、いくつになっても求める喜びの現れは、
  人を感動させ元気を与える。
  サミエルアルマンの“青春とは”がよみがえる。
 
  「カバンを持った女」をバックバンドにバンドマスターが奏でた。
  数十年前、映画音楽そして洋盤に凝っていた時の、
懐かしくもあこがれのメロデーだ。
かって、何とも不思議で美しくも官能的な女性その魅力に会った。
“クラウデイアカルデイナーレ”そして“モニカビッテイー”
映画「二人の女」と靴が重なる。カバンを持つのは自然、
「クツを持った女」と思っていた。(漢字、鞄と靴、見分けていない
今、正にその演奏を直に真ん前で聴く。
限りない旋律、醸し出すメロデーに魂を揺さぶられる。
 
 ◇  思い
すばらしい週末をいただいた。
安定した環境と健康があるからこそ可能なひと時と深く思う。
 
写真
ほとぼしる情熱のミュージシャン達をどうぞ