

それもありのまま(本心)を綴ったのをいただく。
返信(修正)の内容です。
心
心霊を学んでいる方達が、それも何年も何十年も
学んでいるつもりでしょうが、“こころ”を
置き忘れていらっしゃる方のなんと多いことか。
心霊を学ぶとはそもそも何と心得ているのか。
今世において“こころ”なる繕いはふたつの
段階を経てあると思われる。
ひとつは、
自分の意思とは別に、純で薄い感受の心が最も豊かな
時代の、育った環境において個の芯“こころ”が出来上がる。
いわゆる「三つ子の魂百まで」と言われる所以だろう。
そしてもうひとつは
世に出て生きていく営みの中で、日々要求される自由裁量を
行使、積み重ね(手段)から“こころ”が彩られていく。
変えようのない前者を肯定し、残された後者を如何に
“良く生きる”かをふり返る時、学びとして心霊は極めて
望ましい対象と言える。
それは、あかるく、きれいで、あたたかい、しかも広大な
彩り“こころ”を求める事をその対象は常に望んで啓示している。
身
今世に生きる存在として心身“こころ”と“からだ”がある。
心(魂)を入れる器、身の大事も忘れない事である。
心は永久に残る一方、身は今世限りで年々ほころびていく。
身が心に及ぼす影響は大きい。
身を大切に鍛え養生していく心得も大事である。
今世を“良く生きる”心身の調和が前提にある。
写真
雪囲いと楽しみな柿の収穫に田舎を訪れる。
深まり行く秋の鳴子ダムの美しい朝靄をどうぞ。
追記
晩秋の風物詩
柿をもぐ人、皮を剥く人、食べる人がいる
まもなく九十一歳のおじいちゃんが皮を剥き
干して二週間過ぎのやわらかくて一番おいしい頃
髪の長い人物がチャンス到来とばかり収穫する
「三つ子の魂百まで」と関係ある???・・・