

神棚と竜神様にお神酒が供えている。
毎朝のお水取替はおばあちゃんが、そして灯明と榊の水は私が、
いつの頃からかしきたりとなっている。
今日は十五日、忘れていたわけではないがお神酒が供えている。
最近、おばあちゃんに言った言葉、
お神酒を供えるにしても、毎朝できるならいいが、
供えたり供えなかったりするのはよくないし、
義理でやってもあまり意味のないことだと思うよ、
お歳で難儀だったら毎月の一日を忘れないで供えて、
もし、不足のようでしたら中日の十五日にもお願いします。
良い朝を、そして師走の中日、つつがなく参拝できる今に感謝、
一週間の仕事を収めた気分の土曜日も手伝い、
なんとなく心が落ち着く。
一方、
おばあちゃんがお神酒を供えた床の間の竜神様に足を向けて、
目薬を注し、腰の体操をしている無邪気なおじいちゃん。
なんとまあ、好対照のご夫婦だこと、
その長女も天真爛漫、良いお嬢様とめぐり合えたものだとつくづく思う。
ところで、
今日はおじいちゃんの九十歳の誕生日である。
マイペースでぴんぴんしている。
そして目の視力も腰の方も回復すると信じて疑わない。
そのめでたさにお祝いだ。
長生きの秘訣は語らずして理解できる。
◇ 切に生きる ◇
物理的にも精神的にも忙しい日々が続く、
この二週間、ゆっくりと落ち着いてふり返る時間をつくれなかった。
貴重な時間、訪問していただいている方に詫びたい。
そして、塩沼亮潤氏の「切に生きる」をご紹介することにしていた。
二週間ほど前、夜勤の合間にまとめたのでいざ投稿しようと試みた。
まとめた内容を読み直すも新鮮味が薄らいでいる。
ただ言えることは、
「大峯山千日回峰行」
命がけの行、あらゆる苦難を乗り越えてやりとげたこと。
そこには、人智を超えた偉大なる力が働いている。
(サムシング・グレート)
精神的・肉体的限界を生きる。
生死の間を垣間見た人だけが享受できる境地に至る。
塩沼氏は、
凝縮した十年で、
人生百年をもってしても得ることができないだろう境地に、
足を踏み込んだと言えるだろうか。
神の子人間、それは無限の可能性に挑戦して得た証だろうか。
俗人は思う、
氏は「大峯山千日回峰行」をやりとげた。
この後の生き方は如何に、
十牛図の六番目「騎牛帰家」に至ったと観てよいのだろうか。
されば、残された数十年、
十牛図を完結する生き方を、世のため人のため施してほしいと切に望む。
写真は
仕事の帰り立ちよった、
気仙沼線陸前横山駅近くの
横山不動尊です