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  昨 日

   七月も半ば週末土曜日、一週間の仕事の整理に会社に出かける。
   一週間のまとめにうってつけの静けさである。
   台風四号が気になるが、仕事は予想外に進んだ。


  今 日

   今朝四時、
   糸口が見えない三十周年記念誌の目論みに目が覚めた。
   危機感が無いようでも潜在意識の中では気になっているのだろうか。
   過去の記録を整理する中、
   新倉イワオ先生が仙台支部祖霊祭でご講演なさった時の記録が目に入る。

   理事会で一年程同席した温厚な懐かしい先生である。
   確か弓道練士五段と言っておられた。
   弐段と遠に及ばずながら弓道の三位一体、
   身体の安定、心気の安定、弓技の安定を思い出す。

   団塊の世代の方であれば、
   テレビ「あなたの知らない世界」を主催していた方と思い出すだろう。
   今流の「オーラの泉」とジャンルは似ている。

   “心霊は永遠の過去・現在・未来であり連綿とつながっている”

   かってご紹介したと記憶するが再び紹介したい。

       ◇      ◇      ◇

   新倉理事のご講演記録から

   昭和四十三年までは否定もせず、肯定もせずに過ごしてきた。
   失敗とか成功とかいろいろあったが、
   失敗は究極のところでいつも救われてきた。

   奥様曰く

   「御先祖様、お父さま、お母さまが守ってくれているのでしょう」

   あまりにもいろいろなことが起きるので
   奥様が霊能者の先生にご相談に行った。

   先生に「どうしてご主人を、お連れならなかったのですか」と問われる。
   先生が霊視なされた絵を奥様がいただいてきた。
   その風景は、橋を渡ってしばらく行った山すその草むらに無縁仏が散在している。

   奥様から絵を見せられ、ゆかりの無縁仏ではないか供養をしなければと問われた。

   新倉さんは、そんなことありえないと絵をやぶってすててしまった。


   その後も仕事でいろいろな事が起こってきた。
   仕事がら車でいろいろと走りまわることが多い。

   例の件を忘れかけていたある日、
   無意識のうちに車窓から見える風景がなつかしい見覚えのある場所であるのに気付く。
   やぶってすてた絵と同じような場所に来ていた。

   《その日のその後の足どりは記録に無い、そして講演の記憶もない》

   そしてその後、無縁仏のあるだろう場所のゆかりのお寺を探し当てた。
   お寺はその場所から数十km離れている。

   住職を訪ね、新倉なる無縁仏を尋ねるが、住職は無いと否定する。
   いきさつを話し、なんとか住職を担ぎ出し数十km離れた場所に出かける。
 
   住職といっしょに無縁仏があるだろう場所を探した。
   埋もれている石塔を発見する。
   三十四,七,二十六亡 ウメハラジュンゾウと刻まれている。
   一時間以上も探しており後は見つからない。
   いったん寺に帰って、住職は寺中みんなでで新倉の縁を調べる。

   蝶(ちょう)が顔の周りを執拗に飛びまわる。

   住職が過去帳を見て震えだした。

   梅原ジュンゾウ、その人は新倉家からウメハラ家に養子に入っている。
   それも長男で養子にいっている。
   そして利根川で自殺している。
   無念にも無縁仏として葬りさられたのだろう。

   お花とお茶とお線香を用意して数十km離れた石塔の所に行く。
   石塔の傾きを直し水で洗い、持参したお花、お茶、お線香を供し、
   供養のいたらなかったことを詫びて、住職に読教していただく。

   蝶が石塔の頭に止まっている。
   寺にいたのと同じだと思う。
   まもなくその蝶はいなくなった。

       ◇      ◇      ◇

   以上が実際の体験としてご講演していただいた。

   不思議、偶然で片付けられない何かが、
   死後の世界としてあると感じる。
   良きにつけ悪しきにつけ自分の力だけではどうにもならない、
   別の世界からの影響を強く感じる。
   この体験を機に心霊の世界へ入ることになった。

   新倉さんは奥様へ“あなたのお蔭で”とは言っていないが
   すばらしきパートナーシップと言わざるを得ない。

   そして新倉さんはつづける、
   
   “この世界はその人の心の中にある”と、

  ◇

   新倉先生四十年前の体験、十三年前の話である。
   佐藤愛子先生の体験談を半年前に聴講する。

   霊の想い、そしてそのエネルギーは絶大である。
   霊、正に思考する、智性ある、形無き、エネルギー体である。


   ・・・・・  心霊の世界は心の世界でもある  ・・・・・


   心霊を学ぶ心に感謝したい。


        写真は、松尾芭蕉が奥の細道の一句“蚤虱馬の尿する枕元”
        道中一泊した最上、有路家「邦人の家」です。