“ありがとう”

  本ブログが開設されて5ヶ月になろうとしている
  形にこだわらず というより、
  文脈もなにもなく思いつくまま つづらせていただいた
  それにもかかわらず多くの方々の訪問をいただきうれしい。

  6月初“ありがとう”に秘められたエネルギー”でスタートした

 「あたりまえでなんのかわりばえのしない一言であるが、流さないで試みてください」
  と結んだ。
  どなたか、少しの間でも、思い出して、試してみられたでしょうか。
  縁ありて、このページを開かれた方は、古いと思わずもう一度6月3日の
  記事に目をむけられたい。

  文章の中で、
  おもしろくない、ありがたくもない状況でなんで“ありがとう”といえるか、
  それでも“ありがとう”と続ける?

  おもしろくないありがたくない、とは自分の意思に反し、期待に反し
  思いどおりいかない状況の心模様なのでしょう。
  
  それぞれが個性を携えてこの世に生まれる、使命を帯びて。
  十人十色の中で生きていく、多くのままにならない、わずらわしい環境を前提に
  生きる、生きなければならない宿命である。

  日々の生き様の積み重ねが 果たす使命を深くも浅くもする。
  多かれ少なかれは別に 必ず発生する おもしろくないありがたくない状況
  (個性の格の不足の場)一つ一つ経験せざるをえない。

今 この現実を 生き抜く 修行、これ以上の修行の場は見当たらない。

  与えられた宿命、個性の格の足らざるところを補い育む、ありがたき機会を
  創ってもらった事に感謝し“ありがとう”と言わないでなんといいえるか。
  魂の進化向上の一つの過程に“ありがとう”と自然にでる“こころ”を想い
  起こしていただきたいのである。

    
  人と交わりし如何なる場においても“ありがとう”の“こころ”が理であり
  ましょう。
  理の実践は施しであり、良い種まきでもありましょう、蒔いた種は必ず芽が
  でるのです。
  気が付いたその時が出発です。
  実践の反応をお待ちしてます。

                      くどくどと書き連ねてしまった。

    
  追

   磐笛の写真を載せました
        磐笛の響きに魅せられて