祝:第3回「杜の都音楽祭」、近代日本百年の絶景、その15、「船村徹記念館」を訪ねて | アカデミー主宰のブログ

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近代日本百年の絶景、その15、「船村徹記念館」を訪ねて



5日間に及ぶ北海道旅行の最後は、新幹線で東京まで戻り、そこから栃木へ足を伸ばし、最近開館したという「船村徹記念館」を訪ねました。

73日、金曜日、朝は、昨夜泊まったカプセルホテルを早く出て、上野駅前の蕎麦屋で、納豆定食付きの蕎麦を頂き、646分の上野発の新幹線で宇都宮に向かいました。

宇都宮で乗り換え、741分発の日光線の日光行きに乗り込みました。どこか垢抜けた感じの車両は、ここが昔、江戸時代「天領」だったことを思い出させるほど、小洒落た雰囲気が漂っていました。

820分頃、今市駅で下車、まだ時間があるので、「船村徹記念館」に行くには早すぎたので、そこまでの途中にあったファミマのイートインコーナーで、おにぎりと味噌汁を購入して頂きました。

朝の上野での食事だけでは足りない感じがしたからです。今時の駅近くの蕎麦屋での食事は、誠に貧弱な感じがしたからです。その後も、そこで携帯に充電をしながら、9時半過ぎまで休んでいました。アイスクリームや野菜ジュースも購入して、そこで頂きながら、何とか時間を費やしていました。

10時前の945分過ぎに、そこを出発して、ほど近い場所にあった「船村徹記念館」に辿り着きました。そこには4月末にオープしたばかりの真新しい大きな建物が建っていました。道の駅「ニコニコ本陣」と並列して、いくつかの建物と一緒に立ち並んでいました。

3階建ての大きな建物の前面に、「船村徹記念館」と縦長の大きな文字が飛び込んできました。

今日は、並列したホールで、日光蕎麦街道のイベントがあるようで、外には、沢山のテントが建ち並んでいました。

私は、先に「記念館」に入り、ゆっくり中を見学していきました。真っ先に、1階の3D映像のホールで、12分間の映像を楽しみましたが、その素晴らしい映像と音響は、それはそれは、また格別見事なもので、驚きの中で、その空間映像と音響に浸ることが出来ました。

びっくりするほどの立体的な映像で、3D映像の意味が、やっと理解できました。最新の技術の粋を駆使して作られた「記念館」は、今までのどの記念館とも違って、最高水準の技術が、至る所に散りばめられているように感じました。

 エスカレーターで上がった2階の展示室にも、素晴らしい映像と音の展示が、至る所にありました。この「記念館」は、映像での展示が多く、再び入った展示室では、門下生の歌手たちの、素晴らしく、しかもゆっくりとした流れで、映像と音響を楽しむことが出来ました。

さらに上に上がった3階は、広いイベントが出来るホールの他に、カラオケ道場の部屋が3室もありました。中はゴージャスなミニステージがあって、CDDVD制作にも対応しているということでした。

3階にも映写による、様々な場面で話している船村徹の映像を観ました。今まで見学してきた記念館と違い、全てに渡って映像と音響が縦横に駆使した「記念館」になっていました。

素晴らしさは、実際に来て、見てみないと分からないかも知れませんが、全体を通して感じたことは、全てが船村徹の、若くして別れた作詞家、高野公男への想いに溢れた記念館に仕上がっているということでした。

展示されている船村の詩に感動を覚えるほど、壮絶なまでの高野への想いが伝わってくるのでした。詩を読むだけで、涙が溢れて、さらに、高野の絶筆となった「男の友情」には、高野の船村に対する想いと、メロディーでの船村の高野に対する想いが、結晶のように統一され、見事な「絶唱」に仕上がっていることを痛感しました。

船村・高野の作品は、処女作の大ヒットとなった「別れの一本杉」ばかりでなく、高野の絶筆となった「男の友情」にも、それをしのぐものがあると私は実感しました。

3階のホールから眺められる日光連山を、昔、日々船村は、この地で眺めながら生活していたことを思うと、やはり船村の音楽は、このふるさとを抜きにしては考えられないような気もしていました。

船村の高野への想いの詰まった「記念館」は、ある意味で二人の金字塔の「記念館」でもあるように私には思われました。二人の魂が、全てこの「記念館」に凝縮されていると言っても過言でないような「二人の記念館」を、私は、いつの日か再び訪ねてみたいといつしか心に思っていました。

ゆっくりとした見学を終えて、その中で様々な映像を観てきたので、1階に下りた時には、少々疲れ気味で、12時近くになっていました。

外では、丁度、蕎麦の会食のイベントが始まる時でした。蕎麦のチケットを購入し、「日光蕎麦祭り」の三色蕎麦を、テントの中で頂くことが出来ました。結構こしがあって、固め美味しい蕎麦を味わうことが出来ました。 

ゆっくり蕎麦いてから、さらに、建物の周りを見学しながら、13時近くになって、今市駅まで戻って来ることが出来ました。

列車時間に間があるので、今市駅で休んでいたら、近々カラオケ大会に出場する地元の方が、駅の広場で練習していました。今度地元のテレビ局の「のど自慢大会」に出演するということで、素晴らしい喉を聴かせてくれました。そのおじさんとしばし談笑して、駅の電車時間の調整をしていました。

1312分発の電車に乗り、宇都宮駅で新幹線に乗り換えることにしました。乗り換え時間があったので、再び駅内の蕎麦屋で、豚丼蕎麦を頂き、1431分発のやまびこに乗り、仙台に向かいました。仙台着15時半過ぎでしたが、無事仙台に戻って来ることが出来ました。

駅の駐輪場まで歩き、バイクを飛ばして、夕方前に帰途に就くことが出来ました。

5日間に渡る「大人の休日倶楽部」の旅行は、様々なアクシデントがありましたが、無事終了しました。

今日は、上野から出発して、「船村徹記念館」を回っての、旅行になりましたが、無事終了することが出来ました。

本当に素晴らしい、北海道から本州への5日間の旅を、この「船村徹記念館」への訪問で締めくくることが出来て、本当に良かったお思いました。

船村のふるさと、栃木も、また最高に素晴らしい土地なのだと、新たな発見と確信に心が揺れ動いている私でした。

                                     完