『絶景』、原阿佐緒との『灼熱の恋』」
大正ロマン漂わせる銀山温泉のレトロな雰囲気に接してから、ここを舞台とした何かの作品を仕上げてみたいと思うようになっていた。
いろいろ考えているうちに、私の人生を振り返りながら、イメージを膨らませていくと、いつの間にか物理学者、石原純(あつし)に重なっていた。
石原純は、理論物理学者で東北帝国大学(現東北大学)の教授理学博士であったが、短歌を通して知り合った宮城のアララギ派の歌人、原阿佐緒との熱烈な恋愛の末、その地位も名誉も、また家族までも捨てて原阿佐緒のもとに走って結ばれた。いわば「灼熱の恋」の結実であった。大正10年の暑い夏に実際にあったことである。
原阿佐緒の生家が、仙台から北へ30分、大和町宮床にあり、銀山温泉とは奥羽山脈の峠越えの距離にある。ここが二人の「灼熱の恋」の舞台となる。
この話は昔、スキャンダルとして大々的に報道されたし、原阿佐緒の歌人としての足跡を語る上でも、大きな出来事である。
ここでは歌人阿佐緒の人生よりも、石原の「灼熱の想い」について知りたいと思うようになった。その想いは、いかばかりのものであったか、全てを投げ捨てて恋に走った石原の想いはどんなものであったかなど、自分の人生と重なるような気がして、前から問題意識が堆積していたし、今回、銀山温泉の雰囲気に接して一気に心が膨らんでしまったような気がする。
そんな中で、ここ銀山温泉を舞台にして、この「灼熱の恋」を描くことはできないだろうか、折しも、時代は大正10年のこと、大正ロマンの真っただ中である。いやこの「事件」は、大正ロマンを象徴する出来事であったのかも知れない。
人を恋して離れられなくなる、その思いはいかばかりか、私にもそんな時代もあった。人を好きになり、好きで欲しくてたまらないのに、いろんな理由で別れてしまった。それでも会いたくて欲しくてどう仕様もなかった。
丁度、焼火箸を身体に当てられたような、身を焼かれる思いの中で、もう「死」しか自分の前にはなかったような時代もあった。
思い詰めた末、地獄の苦しみの中で自殺も考え、酒に溺れて、自殺未遂事件を起こしたこともあった。
私は、死なないで済んだのは、その頃酒に溺れていたから、それに救われていたのかも知れない。
私と石原の「情念」は全く同じではないかと、その時思っていた。
石原の中の「灼熱」とは、こんなことではなかったかと、思いながら、いつしか、当時の石原は、自分の姿なのだと心の中で重ね合わせていたのであった。
この私を含めたすべての人間の永遠の課題である、「情念」の問題に光を当てながら、石原や原を通して、「本当の愛」とは何かについて描くことはできないであろうか、そんな想いが湧き上がってきた。
実際にあった、石原の中の「絶景」、原阿佐緒との「灼熱の恋」の描写を、銀山温泉という大正ロマンの世界とダブらせながら描いてみたいと思うようになっていた。
理論物理学者や大学教授としての、これ以上の地位と名誉を得ることができないような「完全な男」、石原が、どうして地位も名誉も妻も、5人の子供も捨てて、原のもとへ走ることができたのか、その「情念」とは何か、石原の心はどんな「心情」であったのであろうか、そんなことを自分の人生に重ね合わせて描写してみたいと考えるようになっていた。
石原の心の「絶景」描写を通して、原阿佐緒を歌人としてだけではなく、本当の人間としての姿を明らかにしてみたい。さらに、私の中の未解決の問題が、少しでも具体化し、何か明らかになるかも知れないし、精神的にまた一つ豊かになれるかも知れないと思うからである。
最終的には、原は石原とも別れ、原は三度の結婚からも見放され、孤独のうちに生涯を終えるのである。
石原にしても然りで、原と別れてからは、様々な仕事の実績は残しながらも、大物理学者ピエールキュリーのように、車に轢かれたことが原因で、病気を患い、精神的にも寂しい人生を送り、孤独のうちに生涯を終えることになるのである。
この大正ロマンの時代の、誰しもが疑うような本当の話、実際にあった話を描写しながら、何とか私の中の石原の「情念」を描いてみたいものである。
銀山温泉のレトロな雰囲気と、しっとりする大正ロマンのメロディーにのせて、この「舞台」を開いていきたいものである。
石原純と原阿佐緒が、相合傘の中にしっぽりと寄り添って、銀山温泉の川沿いの歩道を歩いていく。
山を越え、鍋腰越えての逃避行の恋の旅、銀山温泉にやっと辿りついたところから、幕が開くのである。
銀山温泉は、二人の「灼熱の恋」はもちろん、熱い湯で心も身体も溶かしてくれたのに違いない。
果たして、石原のモデルになるのは誰か、恐らくそれは、今まで人生を生きてきた中で出会ったたくさんの人々の中から選び出し、想いを巡らせながら様々なデフォルメを加え、自分中での「石原」の姿を描いてしまうに違いないだろう。
そして、その私の描く「石原」の姿は、いつしか「情念」の世界に溺れた頃の、昔の私の姿に重なっていくのかも知れない。そんな気がしていた。
秘湯でレトロな銀山温泉が、私に向かって、この作品執筆のために、「また来てほしい、この情景を描いてほしい」と呼んでいるような気がしてならない。
銀山温泉は、そんな二人の心の「絶景」の場所なのかも知れないと、いつしか思っていた。