祝福二世が書いた書籍がないものかとAmazonで検索していると、そのものズバリ「祝福二世」というタイトルの書籍が出てきました。サブタイトルは「信仰を捨てた元統一教会信者の告白」です。

 

 

ただ話題になっていないし(私が知らないだけかもしれませんが)、著者が宮坂日出美(みやさか・ひでみ)さんという名前も知らないことから購入を迷いましたが、無名だからこそ素のありのままの祝福二世を知ることができるのではと思い電子書籍で読んでみることにしました。初版発行日を見ると2024年3月1日でしたので、つい最

近、出版されたものでした。

 

読みたいと思ったらすぐ読めるのが電子書籍のいいところですね。何気なく読み始めましたが、読むほどに私はその内容の深さにどんどん引き込まれていきました。

 

ここで著者の宮坂日出美さんのついて書いてみます。1981年生まれということなので現在、42歳か43歳の女性です。書籍でははっきりと書かれていませんでしたが、777双を先輩家庭と見ているのでご両親は1800双か6000双ではと推察します。宮坂さんのご両親も無名の方ですが、しいて言えば父親は統一教会の元会長である徳野英治氏の霊の親だということです。

 

これより私の言葉は黒字で、書籍からの転記は赤字で書きます

 

宮坂さんは小学校を卒業後に韓国に留学して、統一教会系の中学、高校、大学を過ごしたということです。このような経歴をみても教会の中では模範的な二世だったようです。家庭は貧しく、夏休みなどは日本に帰り、長期のアルバイトをしては自らの生活費や学費を稼ぐと言う努力家でもあります。

 

ある日、文鮮明氏の三男である文顕進氏が宮坂さんが通うS大学を訪ねてきました。そして二世が集められました。顕進氏は「オーナーシップ」すなわち「当事者意識」を持てと熱く語ったようです。その時に宮坂さんが感じたことを書籍から転記します。

 

<書籍より>

「オーナーシップ」は、その説教の中に出てきた言葉だ。本来は「所有者であること、所有権」などを意味する語だ。三男はそれを「当事者意識」という意味合いで使っていた。

 説教の眼目は、「二世信者も当事者意識を持て」ということに尽きた。つまり、二世も一世が辿ってきたような苦難の道を「相続」(踏襲)し、「万物復帰」に励むべきだという論旨だった。 「万物復帰」とは統一教会独特の用語で、教団の資金調達のために物品販売をし、売上金を教会の本部や特定のプロジェクトに献上することを意味している。サタン側に奪われてしまっている万物(財産)を神の側に取り戻し、「地上天国」を築き上げるべきだという考えのもとに、これが推奨されているのだ。

 

この頃の顕進氏はすでに指導者としての貫禄と凄みを身につけていたようです。その

顕進氏は参加者に「一年間、大学を休学して献身しろ」と焚きつけたそうです。ここで言う「献身」とは、二四時間をすべて教会での活動に捧げ、徹底的にそれに専念することを指すそうです。

 

宮坂さんは顕進氏から目の前で「やるかやらないのか」と問われ反射的に「やります」と答えました。そうして顕進氏が提唱する「二世献身プロジェクト(当時はまだ正式名称ではなかったようですが)へ参加することになりました。プロジェクトの内容を書籍から転記します。

 

<書籍より>

『二〇〇二年に丸一年間大学を休学して活動する参加する二世信者のS大生を対象にしたこのプロジェクトは、当初、「一年間を三ヶ月ごとの四期間に分け、①日本②韓国③ヨーロッパでそれぞれ募金活動をおこなった上で、④アフリカでボランティア活動をする」という計画であることを知らされた』

 

こうして二〇〇二年1月よりキャラバンに乗った宮坂さんの日本での「万物復帰」路程が始まりました。サタンに奪われた財産を神の側に取り戻すという名目のもとで毎日が意気揚々としたものだったでしょう。

 

しかし考えさせられる時がきました。私も経験がありますが商品が珍味やお茶などの物品販売の時はよかったのですが、ボランティア団体を装ったハンカチ売りや、神社境内での募金活動は嫌な思い出しかありません。それはニセ募金だったからです。

 

それは宮坂さんも同じだったようです。この部分も書籍から転記します。

 

<書籍より>

『普通のコーヒーの粉よりも高額だが、決してそのことを黙って売るのではなく、「寄付金が上乗せされているから高額なのだ」ときちんと説明する。ただ、その説明に添えなければならない決まりになっていた、「売上は全額現地に寄付します」のひとことには、「嘘」があったと言わざるをえない。』

 

私がここで思ったのは祝福二世にも、こんなうさん臭い寄付活動をさせていたのだなということでした。私は統一教会を恨んではいないが、これだけは人生の汚点として今も残っています。今はこんな寄付活動はやっていないものと願っています。

 

しかし私もそうでしたが、宮坂さんはそれで挫折することはありませんでした。宮坂さんが本当に衝撃を受けたのは、ヨーロッパの路程を終え韓国に渡ってからでした。

 

それは韓国人男性と祝福を受けた日本人一世信者との出会いです。

 

宮坂さんは信者とは知らずに寄付のお願いで訪ねたのですが、相手からみれば韓国で寄付活動している日本女性といえば統一教会員だと分かっているので、

「お疲れ様! 懐かしい! 寄付集めは私も死ぬほどやったよ」

と一歳ぐらいの赤ちゃんを抱えながら歓迎してくれたそうです。

 

そうならばと宮坂さんも心を開いて世間話を始めました。すると婦人は、

「ちょっと聞いてくれる? うちの旦那、なんにもわかってないの!」

と言い出しました。

 

聞けば韓国人である旦那は統一原理をまともに学んだことはなく、結婚目的で祝福を受けたような人でした。ご婦人はそういう夫をとっくに諦めていて、抱えている赤ちゃんに希望を託していました。普通ならば韓国に渡って苦労しながら信仰を続ける素晴らしい話だと思います。しかし宮坂さんの受けとめは違いました。その時に宮坂さんが思ったことを書籍から転記します。

 

<書籍より>

彼女は肩を落としてそう呟いてから、胸に抱いた赤ちゃんを見下ろしながら気を取り直したように続けた。 「でも、私はこの子のために生きてるの。だって、〝原罪のない子〟だもんね、この子や、あなたは」 そう言ってお姉さんは、曇りのないキラキラした目を私に転じた。そして彼女が、希望に満ちた、一〇〇パーセントの笑顔を私に向けながら、「〝ニュータイプ〟なんでしょ?」と問いかけてきたとき、私はこらえ切れなくなって、ボロボロと泣いてしまった。(註:ニュータイプとは「神の子」という意味と思われる)

 

私(仙台五郎)は何故、ここで涙が出てくるのか理解できませんでした。

 

ここは祝福二世であれば、「現役」であっても「元信者」であってもすぐに理解できるのかもしれません。あるいは神の子を持ち、子育てに悩む現役一世の信者にもピンと来る人がいるかもしれません。

 

しかし子供がいない私には、その涙の意味が解りませんでした。むしろ神の子を抱く婦人の姿を見るのは、二世にとって「希望では?」と思いました。そういう私でしたが、続く次の文章を読んで、「そういうことか」と身が震えるほどに納得しました。

 

<書籍より>

『私たち祝福二世は、「ニュータイプ」なんかではない。「原罪がない」なんてとんでもない。普通の脳みそや、普通の精神、人並みの良心しか持ち合わせていない、ありきたりの存在にすぎないのだ。たとえ教義上どんな定義になっていようが、実際にはそうではないことは、「祝福二世」と呼ばれる当の私自身がよくわかっている。』

(中略)

『目の前では、私より二〇年も後輩の「祝福二世」である一歳児が無邪気に笑っていた。その姿を見ながら私は、彼の将来に思いを馳せずにはいられなかった。

 この子はこれからの人生、お母さんの純粋な希望や期待に押しつぶされずに上手に生きていくことができるのだろうか。この一世信者の女性が唯一の希望としているものが、文字通りの「原罪のない祝福二世」なのだとしたら、この赤ちゃんに負わされているものはあまりに過酷すぎる。

だって、そんなものは幻想なのだと、どうせいつかは発覚してしまうのだから。そうしたらこのお姉さんも、「なんのためにこんな旦那と結婚したと思ってるの? 私の苦労を無駄にする気?」と怒鳴り散らしてしまうかもしれないのだから――。 そう思ったら、泣かずにはいられなかったのだ。』

 

韓国の田舎では嫁欲しさのために祝福を受けているという話を、3万双あたりから私もチラホラと聞きました。それを聞いた時は私も、「そんなことがあっていいのか」と怒りを感じました。宮坂さんの衝撃はそれ以上だったようです。書籍から転記します。

 

<書籍より>

『私はこの日、片方が信者ですらない祝福結婚が存在することをはじめて知ってしまったことで、祝福結婚への意欲を完全に見失った。それは、「祝福二世」として生きつづける意味が崩壊したことを意味していた。

(中略)

それなのに統一教会は、「祝福二世」を産めるということをまるで「エサ」のようにして掲げながら、女性信者に対して「条件の悪い」嫁ぎ先をマッチングしているのではないか――。「祝福二世」を産むことの価値が、実際よりも大きく見えるように仕組まれている気がした。それは、暴利上乗せの「霊感商法」と本質的には変わらないことを、祝福結婚でおこなっているということではないのか。

その事実を突きつけられたことが、私の信仰上の大きな挫折の引き金となったのである』

 

これは神の子として崇められ、過度な期待に押しつぶされてきた祝福二世だからこそ、たどり着く心境なのだと思います。

 

神の子には明るい未来が待っていて、それによって自分の理想家庭が完成できると思い込んでいる現役一世には思いもよらない心情ではなかろうか。

 

同時に神の子を抱く婦人の姿を見て、「希望では?」と思った私は離教して20年以上たっていながら、今だに統一教会的な発想をしている自分を少し笑ってしまいました。

 

大きな挫折を味わっても宮坂さんはすぐには教会を離れませんでした。祝福二世にとって教会と決別することは一世が考えるよりはるかに難しいようです。そのために取った行動は「何もそこまでやらなくても」と思えるようなストーリーでした。詳しくは書籍をお読みください。

 

そこで私が思ったのは一世が教会と決別する勇気が1(イチ)だとするならば、祝福二世は10倍の勇気がいるということです。

 

一世は教会と決別しても元の世界に帰るだけだし(ただ、人それぞれですが)、そこがどういう世界かも知っています。しかし二世は育った世界しか知りません。一般社会で生きていけるか不安しかないでしょう。しかも幼少時から結婚は祝福以外にあなたの生きる道はないと叩き込まれています。

 

祝福二世は本当に重い十字架を背負っていると思います。私が願うのはそういう十字架を降ろして、ありのままの自分に従って生きてほしいということです。

 

また祝福二世の中には家庭連合の信仰が合っている人もいるでしょう。そういう人は親の期待ではなく、自ら意思で理想家庭を目指したらいいと思います。

 

神様はどちらの生き方も祝福していると思います。

 

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