先週の解決報告は離婚相談40件、夫婦相談37件、人生相談31件、心理カウンセリング45件でした。

 

心理カウンセリングは対人に疲れる方や他人の目や評価が気になる方(アダルトチルドレン)が多く卒業しました。うつ病や不安障害で病院から紹介されカウンセリングを受けに来ていた方も多く卒業となりました。

 

 

本日の題「壮絶な人生(1)」

 

これまで数多くの方の人生を見てきました。

私の記憶に残る数万人の人生の中でも壮絶な人生の方がおります。

 

・ケース1 「15の母」

両親は小学3年生の頃に離婚し、それからすぐに母親が再婚して新しいお父さんと暮らし始めた、優しいお父さんで妹も懐いていた、中1の夏休みにお母さんがパートに行くため家を留守にした、家には自分と妹とお父さんの3人がいた。お父さんが妹に買い物に行ってきてくれないかと頼み妹が家を出た、私とお父さんはテレビを見ていたのだが、妹が家を出て数分した頃、お父さんが肩を前から押すように力を入れ押し倒してきた。

突然のことで何が何だか分からずにいたが、お父さんの目を見てすぐに気付いた。怖くて声が出せず、抵抗したが途中で諦めた。こんなことがあったとお母さんや妹には言えない。その日から眠れず考えると吐き気に襲われた。

 

その後、お父さんはお母さんがいないと隙を見つけては私を犯した。時にはお母さんがいるのに二階に呼びつけ犯されることもあった。私は妹のことが心配だったが中学を卒業したら家を出ようと決意した。その日から耐え続けついに卒業の日がやってきて、卒業式のその日に私は置手紙だけを残し、貯めた小遣いを手に家を出た。

向かった先は東京、都会に行けばなんとか生きれるのではと考えた。

 

最初は仕事を探しながら池袋で野宿したけれど住所が無いとどこも雇ってはくれなかった。生きるために私が出来ることは一つしかなかった、私は新宿区歌舞伎町を通り過ぎるサラリーマンに声を掛け1回3万円~5万円で身体を売りました。最初はシャワーも浴びれるしお金も稼げると思っていましたが、段々とその生活が当たり前になりマヒしていきました。

 

ある時、いつも通り歌舞伎町のコマ劇場の前に立っているとホストに声を掛けられました。

私はホストに対して良い印象は無かったので無視をしていました、しかし、会うたびに声を掛けてくるホストに段々と心を許してしまっていたのです。ある日、そのホストが初回5千円を無料にしてあげるから遊びに来ないかと言ってきました。

私は無料ならばとついて行っていきました。

私は何もかも忘れてはしゃぎ嫌なことをすべて忘れたような気持ちになりました。

東京にきて初めて楽しいと感じたのです。

そこからホストが3万円以内に収めるからまた遊びに来ないかと誘ってきたのですが、私は迷わず行くと返答していました。
段々と使う金額も大きくなり身体を売ってはホストに通う生活になっていました。
 
そんな生活が8か月ほど続いた頃、マンガ喫茶が寝床となっていたのですが、同じマンガ喫茶から出てきた一人のサラリーマンに声を掛けられ身体を売ることとなりました。私にとっては毎日のことなので何も抵抗がありませんでした。
ゴム付きなら3万円、ゴム無しなら5万円で身体を売っていました、このサラリーマンはゴム無しを選びました。
殆どのお客さんは中卒したばかりと聞くと9割はゴム無しを選んでました。
なのでゴム無しは当たり前になっていたので何も抵抗はありませんでした。
 
それから数週間が経過し、私は生理が遅れているだけなのかと思いましたが妊娠検査薬をしたところ妊娠していることが分かりました。
正直、誰の子供かわかりませんが、なんとなく、あのマンガ喫茶のサラリーマンの子供だろうと思いました。
理由は、あの時、私の中から体液が流れ出たのできっとそうだと思います。
私はホストに貢ぎ続けその日暮らしの生活でしたが身体を売れば稼げて子供を下ろすことも費用的には問題ありませんでした。
しかし、日が経つにつれ、このお腹の赤ちゃんが誰の子であろうと、私の子供には違いないと思った時から、下ろせないと感じたのです。
私は産む決意をして病院に行ったのですが、親と連絡を取りたくないので教えられませんでした。
とりあえず、入院しなさいと言われ入院することにはなったのですが、これから私はどうして行けば良いのでしょうか?
 
という相談を受けたことがあります。
そのときの対応方法等は教えましたが、その後、連絡はないので彼女がどうなったのかは分かりません。
子供は今年で18歳になるはずです、どうか、母子ともに幸せに暮らしていることを願うばかりです。