それでは、現存天守に攻め込むぞぉ~!

エイエイオー!

こちらの階段(見ずらいけど)から、天守のある本丸に登ります。

写真にある櫓は、五の平櫓で、平成9年に復元したものです。

入城料500円を支払って、本丸の中に入りましょうラブ

来たぁ~、やっと着いたぞぉ~!

備中松山城

現存12天守、これで7つめです。

今年1月の松江城以来の現存12天守です。

備中松山城は、標高480mの臥牛山(がぎゅうざん)にあります。

現存12天守の中で唯一の山城です。

臥牛山という名前は牛が横たわったように山が連なっているからです。

備中松山城の歴史は、鎌倉時代に始まります。

1574年に起こった「備中兵乱」の時には、砦が21も築かれていて、臥牛山全体が一つの要塞になっていました。

当時の城主だった三村氏が滅んだ後は、毛利氏が支配。

その後は、小堀氏、池田氏、水野氏、水谷氏、浅野氏、安藤氏、石川氏、板倉氏と城主が変わります。

うん、浅野氏だって?

忠臣蔵で知られている播州赤穂の浅野氏のことで、大石内蔵助が城代として、備中松山城に赴任しています。

歴史って、こうやって勉強すると面白いよね。

木造本瓦葺き、二層二階建てです。

見た目では三層にも見えるデザインです。

この天守は、1683年水谷勝宗によって、大修復されたものが残っています。

天守の脇のこの小さな入り口から入ります。

中は土足厳禁、靴を脱いではいります。

この日は、天守内も蒸していて、さらに汗ダラダラ状態。

ついつい、汗拭きシートで身体を拭きまくりました。

それでは、お邪魔します~ウインク

こちらは装束の間です。

敵に攻められて、囲まれた際、この部屋に城主は立てこもりました。

床下には石が敷き詰められており、忍者の侵入を防ぎました。

ていうか、この小さいお城で敵に囲まれちゃったら。。。

なんと驚き、囲炉裏(いろり)がありました。

長さ一間(180cm)、幅三尺(90cm)のこの囲炉裏は、籠城戦の城主の食事を準備したり、暖を取ったりしたそうです。

備中松山城は、何度も攻められて、戦に備えるためだったんだって。

この囲炉裏の火で火事にならなくて、よかったね炎

それでは、二階に上がりましょう。

これまた急な階段を慎重に上がります。

転んだら恥ずかしいので、とにかく慎重に、ゆっくりと自分に言い聞かせて一歩ずつ足を踏み出しました。

この山奥で怪我したら、洒落にならないもんね。

二階の正面には、御社壇(ごしゃだん)が設けられています。

三振の宝剣、天照皇大神など10の神々をお祀りしています。

それにしても立派な梁だなぁ~びっくり

こんなに大きな梁を、どこから切り出して、どうやって運んできて、さらに吊って組み上げたんだろう?

石垣を積む技術力も素晴らしいけど、この梁や柱を組み上げる技術力も素晴らしいラブ

コンパクトな天守の中は、日の光が差し込んで明るかったです。

お城って、暗い雰囲気のところが多いけど、備中松山城はちょっと雰囲気が違いました。

気のせいかな?

天守からの眺めです。

高梁市方面を見ています。

絶景かな、絶景かな。

余は満足じゃぁ~。

返す返すも天気が悪いのは残念でした。

でも、ピーカンだったら、熱中症になるかもしれないから、小雨でちょうどよかったかも。

北側の窓からは、二重櫓が見えました。

この櫓も国指定の重要文化財に指定されています。

天守同様に現存する建物です。

それでは、近くで見学しに行きましょう。

この櫓は、非公開でした。

近くに行くことはできました。

備中松山城にある櫓では、唯一の二階建てになっています。

櫓の反対側に回ってみました。

天然の岩盤の上に建てられていることがよく分かります。

山城の櫓って、感じがしますな。

上の写真と下の写真を見ても分かるように、入り口が両側にあります。

これは、万が一のとき、天守側から裏山方向に逃げるためだそうです。

逃げるって、、、そりゃ非常事態じゃん叫び

備中松山城は、「天空の山城」と呼ばれています。

秋から冬の寒暖差が大きくなると、早朝に雲海が広がり、その雲海に備中松山城が浮かんで見えます。

10~11月の早朝に雲海が出やすくて、それを反対側の山から眺めるツアーもあります。

これは、中々ハードル高そうだけどね。

 

日本に残っている現存12天守をコンプリートしたいプンプン

今回の備中松山城を加えると、

行った 弘前城、松本城、犬山城、彦根城、備中松山城、丸亀城、松江城

まだ行っていない 丸岡城、姫路城、伊予松山城、宇和島城、高知城です。

これで、7城制覇です。

 

現存12天守コンプリートまで、あと5城!