鶴丸城の立派な御楼門、西南戦争の銃弾跡を見学しました。
やっぱり、旅をしたら、その地の神社にお参りをしなくちゃね
鶴丸城から歩いて約10分ちょっとで到着しました。
照國神社
鹿児島の総氏神様として崇拝されています。
何とも大きい白い鳥居がありました
めちゃ大きかったです。
鳥居のところで、一礼して境内に入らさせていただきます。
一礼したとき、近くにいた○国人らしき観光客に指を差されて笑われました。
何でか分かりませんが、心の中で「罰が当たってしまえ!」と穏やかに言い放ってやりました
インバウンドも大切かもしれませんが、日本の大事な場所を荒らされたくないですね。
こちらは、斉鶴です。
これは、イヌマキの木です。
斉は、御祭神島津斉彬の斉です。
そして、鶴丸城の鶴でもあり、鶴が大きく羽を広げて均衡の取れた姿を表しています。
めちゃくちゃ大きくてビックリしました。
毎日のお手入れも大変なんだろうなぁ~。
それでは、お参りしましょう!
神門を通り、拝殿に進みます。
参拝客がほとんどいなくて、独占状態でした。
御祭神は、照國大明神です。
島津家28代当主島津斉彬公のことです。
日本の近代化に貢献された島津のお殿様です。
お亡くなりになられた後、万民の願いにより、照國大明神の神号が授けられました。
人徳のあったお殿様だったのですね。
そういう上司にお仕えしたいものです。
おぉ~、ここにも、島津家の家紋、丸に十の字のオンパレードです。
鹿児島の方の島津愛って、すごい&羨ましいです。
それでは、いつものお願いを心を込めて。
家族が健康でありますように
パワハラ上司が早くいなくなりますように
万馬券がたくさん当たりますように
よし、しっかりとお願いした!
拝殿を背に、斉鶴、鳥居をまっすぐと見て、写真をパチリ
朝の雨が嘘のように、天候もよくなってきました。
照國神社の近くには、島津の3人のお殿様の大きな像がありました。
ちょっとづつ違う場所に建てられていたので、探しながらブラブラすると楽しかったです。
島津忠義像
洋服を着ていますね。
明治維新後、長州藩、佐賀藩、土佐藩とともに進んで版籍奉還を行いました。
自らは、鹿児島藩の知事になられました。
日本最初の紡績工場を建設するなど、日本の近代化に貢献されました。
島津久光像
島津斉彬の異母兄弟で、島津忠義の父です。
生麦事件は、島津久光が江戸から京都へ向かう途中に、イギリス人が行列を突っ切る形になり、発生してしまいました。
これが引き金となり、薩英戦争が勃発します。
そして、一番奥(城山の近く)に鎮座されていたのが、こちらです。
島津斉彬像
御祭神島津斉彬です。
藩主になると、造船、製鉄、紡績、電信、ガラス等の事業に着手。
西郷隆盛や大久保利通を育てました。
日本を強く豊かな国にするために、ご尽力されました
どの像も、台座が高すぎて、写真がイマイチですいません
こうやって、島津家を改めて勉強すると、近代日本の礎を支えてくれたのですね。
ありがとうございます
島津のお殿様、パワハラ上司を葬ってください!