米沢駅に着きましたが、まだお昼までは時間があるので観光です。

米沢駅から市内循環バスに乗って、約10分で到着ですバス

とても小さくてかわいいバスでした。

観光客と市民が半々という感じでした。

木々も少し色づいていました紅葉

とても開放的な場所でした。

この真っ直ぐの参道を歩いていきます走る人

石造りの美しいアーチ橋の舞鶴橋です。

米沢城の正面にあたる場所にあり、昔は木製の太鼓橋が架けられていました。

舞鶴という名前は、米沢城の別称「舞鶴城」に由来します。

さらに進むと、上杉謙信公っぽい旗がありました。

は、軍神毘沙門天のことです。

毘沙門天(多聞天)は、仏法を守る四天王の一人で、鎧を着て矛を持ち、悪鬼を踏みつけている神様で、北方の守り神です。

は、少し乱れた字で書かれています。

これは、「懸かり乱れ龍」と言われ、全軍突撃(総懸かり)するときに掲げられたそうです。

さらに仏教の世界では、龍は不動明王のことです。

毘沙門天と不動明王は、常に対の関係で祀られていたとのことです。

でも、旗の反対側から撮影しなかったガックリ

大きな鳥居をくぐります。

参拝客はほとんどいませんでした。

手水舎は、コロナ対策で使用禁止になっていました。

虎かなぁ~、でも何だか迫力ないですトラ

越後の龍(上杉謙信)、甲斐の虎(武田信玄)というくらいだから、虎じゃないのよなぁ~?

じゃあ、猫?猫

上杉神社

御祭神は上杉謙信公です。

上杉謙信公は、新潟の春日山城で急逝されました。

その後、跡を継いだ上杉景勝公が会津を経て、米沢に転封される際に、遺骸も米沢に移されました。

明治時代になると、米沢藩の名君、上杉鷹山公を合祀しました。

その後、上杉鷹山公は、新たな摂社として、松岬神社(米沢城正面のお堀の外側)に鎮座されています。

本殿にお参りしましょう!

本殿

意外と質素な本殿でした。

それでは、いつものお願いを心を込めて。

家族が健康でありますようにお願い

パワハラ上司が早くいなくなりますようにお願い

万馬券がたくさん当たりますように競馬

よし、しっかりとお願いした!

上杉神社の周りにある神社にもお参りします。

松岬神社(まつがさきじんじゃ)

上杉神社から、上杉鷹山公を分祀し、その後、米沢藩初代藩主となる上杉景勝公、その重臣直江兼続公などを合祀しました。

小さい神社でしたが、お庭がとても綺麗でした。

小雨が降っていたので、何だか物悲しい写真になったのは残念です。

春日神社

上杉謙信公が治めていた越後(新潟県)では、奈良の春日大社を分霊した春日社を守り続けていました。

米沢へ転封後、上杉家は財政がとても厳しくなります。

10代藩主の上杉鷹山公が、藩の再建を願い、春日社へ誓詞を奉納されたとのことです。

大正8年、米沢大火で焼けてしまいましたが、昭和56年市民の浄財により、再建されました。

由緒正しい春日大社の割には、鳥居の色がちょっといただけない感じがしました。

春日大社と言えば、朱色の本殿が鮮やかなイメージですよね?

行ったことないですけどね指差し

福徳稲荷神社

城内守護神として祭祀されていた神社です。

境内では冬の準備が着々と進んでいました。

山形の冬は厳しいですもんね。

樹木を守る雪吊は縄ではなくて、木の板になっていました。

それだけ豪雪ってことかな雪だるま

就職してから、仙台で10年、盛岡で2年を過ごしましたが、どちらも雪は少ない街でしたからね。

盛岡は盆地なので、めちゃくちゃ寒かったですけどね。

2年前の秋には、山梨県にある武田神社に行きました。

↓ その時の写真がこちら。

川中島の戦いで争った武田信玄公、上杉謙信公を祀った神社に行くことができましたチョキ

 

軍神上杉謙信公にパワハラから守ってもらいたいぞ!