「空襲」
1945年7月10日 仙台市上空に米軍のB29が多数襲来し 焼夷弾や爆弾を投下して行った
燃え上がる炎は私の実家の在る名取市からも見えたと祖母から聞いた事がありました

一昨年亡くなった私の母は この空襲の時は19歳 仙台市内の官営の病院で看護師として働いており 中心部にあった病院でしたが 直撃弾等の被害も無く 当時としては頑丈な鉄筋モルタル造の建物だったのが幸いして延焼を免れました

空襲による火傷や怪我等 多くの患者さんが母の勤める病院に搬送されて来たそうです

当時の事を手記として新聞社に投稿し👆の「空襲」に掲載されました
(年齢が1歳若い「18歳」で掲載されていました!)

その仙台空襲から今年で79年が経過しました

👆の本を改めて開くと 空襲の悲惨さだけでなく 当時の国民が直面していた戦時下の生活の苦労等を想うに 現在も世界各国で行われている不毛の戦いが一刻も早期に終息する事を祈るばかりであります
2024年7月11日は東日本大震災の発生から13年4ヶ月目の月命日

今日は 名取市の実家に赴き 仏壇に線香をあげ 鎮魂の祈りとご先祖様への供養を済ませて来ました

明日 7月12日は 👆の大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市で開催される東北6県のスポーツ推進委員の研修会に参加して参ります


『ただ、ありがとう』 MONKEY MAJIK
東日本大震災後 各地を巡り震災ボランティア活動を実施して来た 御当地 宮城県在住のMONKEY MAJIKの素敵な一曲を