2017年12月の半ば過ぎ、お隣の国で起こった出来事。
それは隣国だけではなく、私たちの国まで動揺が広がりました。
自ら死を選ぶ。
自分の死のあり方は、そしてその選択は、人の尊厳において重要なポジションにあると私は思います。選択する権利は、あると思っています。思っていました。それにその考え方は今でも変わりません。人生歴や経験はまだまだ浅いので、このさき生きていけば、何かしら変わるとは思いますが。
だけど、人のその選択が、こんなにも悔しいだなんて。
彼の選択が彼にとって、良いものであってほしい。正しいかなんてわからないし、本人を含め人間がわかるようなものではないけど、否定はしたくない。ただ、そうは考えても、悔しいという思いが溢れ出てくるのです。
今見ると彼の作詞は、彼自身が掛けて欲しかった言葉のようで、また、彼のさいごの言葉そのものであるような気がして、未だとても冷静に聴くこともままなりません。けれど、SNSやラジオで散見されるように、彼自身が自覚して、表して、救いを求めて。相談する人もいた、専門家の意見もききに行った。それなのにどうして。どうして彼にその選択を選ばせてしまったのか。
だけど結局、彼にとっての最善の道は。彼の選択はそれだった。
否定はしたくないけど、なんでという言葉が出てきてしまいます。
私の生まれて初めて好きになったアーティストが彼と近しい仲だったのもあり、彼のことは音楽やステージはもちろん、テレビ番組やラジオなどに出ている姿も見ていました。とても大好きでした。優しくて高音も気持ちよく出る、あの独特な声が大好きでした。かっこいい髪型に衣装でパフォーマンスをしている姿、カラコンの似合う少し切ない目、鍛え上げられた体、事務所のお兄さん達に可愛がられる姿、妹や弟たちを可愛がる姿、事務所関係なく築き上げられた友好関係に、彼の人柄の良さがわかります。今回の件でこんなにも自分が落ち込んでしまうなんて、いつの間にこんな好きになったのかなと少し驚くぐらい。
それで少し考えてしまったんです。
彼らにとって、ファンは生きる理由にはなれないんだな、って。
彼に限った話ではなく、どんなアーティストに対しても言える話です。いつだってファンは、大きな力をもらっています。それにありがとうと伝えたい、とオタクは思うわけですが、もらう力に対して伝えられることがあまりにも少ない。ジャンルやその個人によってその比率はまちまちだとは思いますが、推しからもらえる力よりも大きなものを返せている人はどれくらいいるのだろう。果たして、いるのだろうか。
ところで、いきなりですが、先日、ハッピーシンキング!の仙台でのリリイベに行ってきました。 (本当にいきなりすぎる)
そこでね、楠田さんと何回かお話しさせてもらったのですが、最後の接近で情けないことにボロボロ泣いてしまったんです。追っかけと言えるくらい地方回ったり周回して、感情の共有がよく出来てる、て訳じゃないのにね。
なんで最後の接近を目前にしてこんなにも涙がこみ上げてきたんだろうなーと考えていたら、少し冒頭の考えに繋がったので、一緒の記事にまとめておこうと思ったのです。
で、なんで涙が出てきたか考えた結果はというと。
楠田さんが前のお渡し会で泣いていたという情報を知っていたから?それはあると思います。泣いていた訳を現場にいたオタクに聞いたり、ましてや本人に聞いた訳じゃないから、これは検索で出てきたレポをみて私が勝手に解釈したことが存分に入っているからあまり大きい声で言えないんだけど、、楠田さんがくすサポを想って書いた歌詞を、自分に向けたんじゃないでしょ?とくすサポに言われて、伝わってないんだと悲しくなる楠田さんに、本当に申し訳なくなった。くすサポを片っ端からビンタしてまわりたくなったもん。私はこんな無力なファンでありながら傲慢にも、全部私信だと思うスタイルなので。推しが生きていることが私信なんだよ。オタクはそれでいいんだ、オタクはズーズーしくあればいい。いっぱい好きって言って、いっぱいありがとうって言われればいい。僕なんか、とかバカみたいなこと言うオタク多すぎだよ。おこがましさは悪みたいな風潮あるけど、オタクな時点でそんなん求められてないんだよ。とにかく好き、応援している気持ちをぶつけて、カタチに表せばいい。
そう思ってるから、お話しできるときにはいっぱい好きって伝えようと思った。手紙も書いて、長くなっちゃったけど暇だったら読んでって言ったら。読みます。伝わってるよ。ってまっすぐ答えてくれたんだ。優しく目を見てまっすぐに。ほんとにこの人は・・・どこまでもファンのことを考えているんだ。
それなのにオタクは…という無限ループになってまた頭を抱える。
それと、色々な面を考えて、JRに課金するんだったらその分CD買うわ、ってスタイルを今回は取ったので、仙台しか行かなかったんです。その分何回か回ったので、アニメイトは最後の人になったんだよね、所謂鍵閉めとかいうやつ。それで、いろいろなオタクみて、また札幌でねとか言ってるのみて、本当に寂しくなったのもある。1箇所に集中砲火こそできたけど、またねの約束ができなくて。ツアーは行くつもりではあるけど、他のリリイベだったり、公録だったり。前回は複数箇所行って、またね、こないだぶり、の経験ができたけど、それができない。そんな自分の無力さも腹立たしく思えて。最後、何も言えなくなって、顔もこわばって、そのとき楠田さんはなんて言ったと思う?「どうしたの?」だよ。この最後の客と少し話せば今日のお仕事も終わる、そんな時まで、ファンの言葉に耳を傾けて、ファンの表情を気にかけて、ちょっとした変化にも気づいて。ちっぽけなファンに対して、こんなにも優しい。その優しさがつらかった。だって何も返せないんだ。声に癒しをもらって、姿に元気をもらって、考え方に励ましをもらって。言葉のプレゼントまでもらった。そしてそのプレゼントを受け取ってもらえないと涙まで流すのが楠田さんだよ。そんな楠田さんに何か返したいけど、返せない、無力さが悲しくて、悔しくて、腹立たしくて。
何か返したい、けど何か返せるのかな、とも思う。どれだけ返しても貰った分には到底足りっこないし、返したと思っている分だって、本当は何も届いてないかもしれないし、ありがた迷惑かもしれない。例えば、頑張っている姿にいつも励まされます!と伝えたら、あぁ、励ますために頑張らなきゃな、と考えてしまうかも知れない。頑張るの疲れたな、という時にまで、ファンの期待に応えなきゃと思わせるような、そんな重荷になりたくない。重圧にはなりたくない。
生きる理由になれなくていい。死なない理由になりたい。
ただただ、そう思うのです。
