【魚をとるのは、どこの猫でも同じ】
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主人が帰宅した。
妻が裏口で、棒を持って構えている。
「おまえ、そこで、なにしている」
「あら、おかえり。私、いま腹がたってしかたがないの」
「いったい、どうしたんだ」
「今日ね。あなたの好きなハマチ、千五百円もだしてよ、買ったの。それをマナ板の上においたとき、ご飯が炊きあがったので、火を弱めて、ひょいと後ろを向いたらあなた、アノ盗人猫めが、魚をくわえて床下に逃げこむじゃないの。いくら呼んでも、目を光らせて、うなってばかり。私、くやしくて、くやしくて」
「よしよしわかった。ところで一度、静かに考えてみようじゃないか。猫は主人がハマチが好きで、千五百円も出して買ったの知っていただろうか」
「そんなこと、猫が、知るもんですが」
「では魚をとるのは、ウチの猫だけか」
「そりゃ、どこの猫でもとりますわよ」
「そんな猫に魚をとられる主婦は、賢いのか、ばかなのか。もしこの事件を仏さまが裁判なされたら、訴訟費用は原告の、おまえが持たねばなるまい」
「もういいわ。私、猫をたたきません」
「イヤ、たたけ、たたけ」
「でも、猫が悪くないもの」
「どちらが悪いか」
「私が悪かったのよ」
「それじゃ、お前の頭をたたいておけ」
猫が魚をとるのは開闢以来のことなのだ。
“腹をたて苦しむのは、いつでも、己が正しいと思うのが原因である”
~「光に向かって」より~
「怒り」については、ほぼ毎月一回は仏教講座で詳しく話をしています。
怒らない人はありませんが、心がけが変われば、解決する「怒り」ばかりと思います。
何が自分を怒らせているのか?
心を沈めて反省する時間や場があればよいのですが…
ぜひ、仏法を聞きにきて頂きたいと思います(^^)
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