六回目の支給日を迎える数日前に代打ちの方から連絡が有りました

 

連絡は無いと思っていましたが約一か月過ぎに施設に連絡が有りましたが

使い込みの事で連絡した方でしたが少し事情が変わってました

 

代打ちの際にお金を出していたのはもう片方の方で食事の際でも同様でした

共同出資者的には見えなかったのですが詳しい関係を聞く事は有りませんでした

自分的には仕事の話も眉唾ものでは と思っていたからでしょう

 

今回の電話で聞いた内容はお二方の関係と連絡が遅く成った経緯です

関係的には借金者と出資者で連絡してきた方が出資者に成るそうです

遅く成った訳はもう一方が音信不通に成り探していた状態だったと言う事でした

 

どちらにしても自分に対しての深い関係性が見つかりませんでしたが

探している方が自分に連絡しているかもと思っての行動だと思いました

一切連絡が無い事を伝えると月並みの言葉と挨拶で電話は切れました

 

実際お二方の内情は知りませんでしたので聞いた事に何の感情も湧きませんでした

それよりも期限が来た施設との約束をどうするかを考えていました

 

住民票と言う物は移動手続きをすれば現在の居所を調べる手段に成ります

この時点で放浪に出て凡そ12年が過ぎていました

そして六回目の支給日が来ました

 

何時もの様に受け取りに出かけようとすると管理者が声をかけてきました

役所の方も来るので受け取ったら真っ直ぐ帰って来て欲しいとの事でした

ハイと答え出かけました

 

施設に戻るまでずっと考えてはいましたが答えは決まりませんでした

結局明日手続きに役所に向かうと答えその場を終えます

 

どんなに考えても住民票を移動して本名で生活する事を選べませんでした

もっと早い時期にこの状態に成っていればもしかしたら立ち向かったかも知れません

12年の時間は立ち向かう勇気より恐怖を育ててしまっていたようです

 

無い頭で考え着いたのが何時もの様に周りに嘘をついて騙す事です

病気で身体も訛っていましたし直ぐには肉体労働もこなせないと考えました

それに此れから先は身分証と銀行口座も必要性が高く成ると思いました

 

今だったら病気からの現状ですので偽名の嘘もきつく追及される事も無いと思い

翌日役所に出向き顔見知りの担当者に偽名の件を告白しました

多少は道理的な言葉を言われましたが咎められる事は何も無く済みました

 

今後については施設で生活し仕事を探して通常生活をめざす事を約束します

写真と施設の住所が入った役所発行の身分証明書を受け取りました

12年ぶりに公的書類に本名と前住所を記載しましたが何故か手が震えていました

 

住民票移動を済ませ銀行に向かい口座を作りました

此れで警察に職務質問されても身分を証明する事が出来ると思い又

何処かで野垂れ死んでも自分だと判るんだと ふと思いました

 

施設に戻り管理者に身分証と住民票のコピーを渡して偽名の件を謝罪しました

色々な方と接して来たと思われる管理者からは 頑張って とだけ伝えられます

はい と答える声にはすいません と言う言葉が一緒に成っていました

 

あいかわらず荷物は数枚の下着と上下の作業服が入った大きめのスポーツバッグです

夕ご飯を済ませシャワーを浴びて軽く部屋を掃除しました

深夜二時過ぎバッグを持って非常階段を使い施設を後にしました