末廣神社

すえひろじんじゃ

 

大分県玖珠郡玖珠町森864

最寄り駅 JR久大本線 豊後の森駅

無料駐車場あり

 

◆御祭神◆

 天之御中主神

 大山積之大神

 

◆参道入口◆

豊後森藩資料館近くに参道入口

 

◆一の鳥居◆

 

◆三島公園◆

三島公園は、久留島陣屋と三島宮の跡地

 

◆参道階段◆

 
◆西側鳥居◆

 

◆周辺の様子◆

角埋山の中腹に鎮座します

角埋山には角牟礼(つのむれ)城がありました

角牟礼城は、弘安年間(1278年~1288年)に森朝通によって築かれました

島津軍も攻め落とすことができなかった天然の要害に築かれた難攻不落の角牟礼城

文禄3年(1594年)~慶長5年(1600年)にかけて、日田日隈城主 毛利高政が玖珠の拠点として角牟礼城を整備しましたが、慶長6年(1601年)に久留島氏が入封し、山麓に森陣屋を築いて角牟礼城は廃城となってしまいました

 

◆玉濃井(たまのい)◆

 

 

 

◆境内の様子◆

 

 

 

 

◆日本一の手水石◆

 
◆二の鳥居◆
 
◆正面階段◆

 

◆社殿◆

慶長6年(1601年)瀬戸内海水軍村上氏の流れを汲む久留島氏が豊後森藩に移封された際、出身の伊予国一宮で大三島に鎮座する三島宮(現 大山祇神社)を勧請して藩の守護神としたのが始まり

豊後森藩久留島家は石高が少ないことから築城を許されず、この一帯を森陣屋として藩政を行っていました

江戸時代後期、8代藩主 久留島道嘉が神社改築を口実に、城門に見立てた清水御門を始め、石垣や庭園、天守閣に見立てた二階建ての茶屋など大規模な造営を行いました

現存の本殿は文政12年(1829年)の竣工

総欅造りで彩色がなく、桁行三間、梁行二間の入母屋造り

県有形文化財

 

 

神紋は「折敷に縮三文字紋」

拝殿前に御朱印

 

本殿裏から山頂への登山道

 

◆狛犬◆

文政12年(1829年)建立

 

 

 

 

石工 大坂西横堀 和泉屋安兵衛

 

 

 

 

◆手水鉢◆

 

◆栖鳳楼(せいほうろう)◆

木造二階建て、寄棟造りで、三島宮の造営工事の一環として造られました

天保2年(1831年)完成

 

 

令和5年5月3日参拝時撮影

 

桜**御朱印桜**

 

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