吉弘神社

よしひろじんじゃ

大分県別府市石垣西6-6-19

 

最寄り駅 JR日豊本線 別府駅・別府大学駅

無料駐車場あり

 

◆御祭神◆ 

 吉弘統幸公

 

◆社号標・鳥居◆

鶴高通り沿いに駐車場があります。

平成十三年(2001年)建立。

 

◆境内の様子◆

慶長五年(1600年)、豊後の関ヶ原ともいわれる石垣原合戦において、西軍・石田三成方に見方して挙兵した大友義統公の家臣である吉弘統幸公を祀る神社。

統幸公は、東軍・徳川家康方につくべきだと主君を再三諌めましたが聞き入れられず、黒田如水の東軍とやむなく戦い、「明日は誰が 草の屍や照らすらん 石垣原の今日の月影」と辞世の歌を残して戦場の露と消えました。

その統幸公を近くの臨済宗・太平山宝泉寺の住職が村人と相談したうえで、石碑をたてて手厚く葬り、その印に一株の松を墓の側に植え、位牌を寺に安置して、その菩提を弔っていました。

大正十一年(1922年)、地域の人々の手により、墓所の前に一間社流造の本殿と入母屋造裳階付の拝殿が建立され、吉弘神社と名付けられました。

本殿横に御石神。

 

 

◆御由来石◆

 
◆吉弘児童公園側の社号標◆
 
◆吉弘児童公園側の鳥居◆

昭和三十四年(1959年)建立。

 

◆燈籠◆

 

◆手水舎◆

手水鉢には、抱き花杏葉紋。

 

◆狛犬◆

大正十四年(1925年)建立。

石匠は大分 田口勘藏氏。

垂耳で首がなく大きな顔。
 

 

前歯が目立つ吽の頭には宝珠。

 

 

表情も尾の流れも全体の形も個性的な狛犬。

 

◆社殿◆

大友氏・吉弘氏の家紋が、抱き花杏葉紋。

 

 

 

◆社務所◆

社務所と神職さまのご自宅の間にある鳥居は、嘉永七年(1854年)建立。

御朱印情報はありますが、早朝参拝の為拝受していません。

 

令和2年10月3日参拝時撮影

 

 

 

 

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