原城跡 

はらじょうあと

長崎県南島原市南有馬町乙

 

無料駐車場あり。

 

◆原城跡◆

原城は、明応五年(1496年)、日野江城の支城として戦国大名の有馬貴純によって築かれました。
日野江城から、約3km離れた島原湾に張り出した丘陵に位置します。
本の丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成されていました。

 
 
有馬氏が日向国延岡城に転封となった後の、元和二年(1616年)に松倉重政が日野江城に入城。
その後、一国一城の令によって島原城を築城したので、日之江城・原城は廃城となりました。
 
島原・天草両地区で圧政が続く中、台風や日照りで餓死者が続出。
又、過酷なキリシタン弾圧を行ったことにより農民一揆を引き起こしました。
寛永十四年(1637年)、16歳の天草四郎を総大将として、廃城となっていた原城で一揆軍が籠城しました。

一揆が鎮圧されたのは、4ヵ月後でした。
 
天草四郎像。
昭和十三年(1938年)、原城跡は島原・天草の乱の舞台として、国の史跡に指定されました。
 
有明海・島原湾が広がります。
 
 
 
 
 
 
島原の乱では3万人以上のキリシタンや農民が命を落とし、原城一帯で後に多くの遺骨が出土されました。
散乱していた遺骨を、敵・味方の区別なく拾い集めてその霊をなぐさめるため、ホネカミ地蔵尊塔が建てられました。
 
原城跡から、国道251号線の島原街道をさらに西へと向かいます。
 
◆両子岩(ふたごいわ)◆
両子岩は、島原半島ジオパークの一つで、南島原市加津佐町甲津波見にあります。
150万年前に噴出した国崎安山岩による土石流堆積物が、波の浸食を受け、人の頭のような形になったものです。
角度によっては、元首相の岸信介((きしのぶすけ)氏によく似ているということで、通称「岸信介岩」と呼ばれています。
 
平成30年1月7日散策時撮影。