はじめまして
senと申します♪
どうして現在のsenがあるのか
幼少の頃から少しだけさかのぼって
お話しします
わたしは幼少(小2〜中1)兄から
虐待(家庭内暴力)を受けて育ちました。
兄はサイコパス要素が強く、とにかく常に自分が王様。
気に食わないと暴力はもちろん、わたしを呼びつけ、怒りのレベルによって兄の気が済む回数を指定し、『ごめんなさい、ごめんなさい。。。』
と、正座をさせ何十回と謝らせました。
兄は数をしっかり数えているので、わたしが一回でも間違えるとまた殴られ最初からやり直し…
泣くのも嫌な顔も絶対にだめ。
神経質でずる賢い兄は、人目にわからないよう顔ではなく、髪の毛で隠れる頭を主に拳か当時男子で流行っていたあの分厚いコミック本のコ◯コ◯やボ◯ボ◯の角などで殴りつけ、跡が残らない程度にタバコを軽く押し付け、満足していました。
そんな毎日でした。
毎晩、お風呂では大きなたんこぶがたくさんできた頭を上手にかばいながら洗い、絶対に誰にも気付かれないよう、よく一人で声を殺して泣いていました。
ひどい時は、低学年のわたしを部屋の隅に追い詰め、包丁を手渡し『自分で自分を刺してみろ』と詰め寄って脅してくる始末。
わたしのわずかなお年玉も好きなお菓子も、全部兄のものでした。
わたしには友達との約束より何より「兄を優先する」という暗黙の決まりがあったので、学校から帰るとまず、兄が帰宅しているか外から調べるために、玄関扉の下の方ついた小さいポケットを音が鳴らないようにそーっと開いて覗き、中の様子を確かめるのが日課でした。
兄がいないのがわかると、友達と約束があってもなくても、とりあえずランドセルを部屋に放り投げて一目散に家を出る。
これが幼少期の習慣でした。
とは言っても、同じ屋根の下に暮らす兄妹…
兄との時間は絶対に避けられません。
兄と過ごす日は、兄の都合に合わせて寒い冬でも暑い夏でも本や弁当のパシリをさせられ、彼女と電話をするときは「聞かれたくないから」という理由で家の外に締め出され、許可が出るまで市住の狭い廊下で縄跳びをしたりして、一人長い時間を過ごしました。
そして思春期にはイタズラ的な性的虐待を。
父とは離婚はしていた(らしい)ものの、付き合いはあり、たまにうちに来てはまたしばらく消える…
そんな環境でした。
母は、性格的にあまり子供の心にまで関心がいくタイプではありませんでした。
毎日デパート勤務で、学校が休みになる週末や祭日などの休みはないし、夜は遅い。
近くに男手もなかったので、兄を叱って止める人は誰もおらずで、誰かに泣きついたとて、兄と一緒に暮らしている以上、兄と2人の時間は今後も避けられない、そう幼いながらにわかっていたのと、その後の倍以上のやり返しの方がよっぽど恐怖で誰にも言えず、毎日を諦めて過ごしていました。
兄の怒号は外にも聞こえていて、近所で噂にはなっていたようだけど、やっぱり所詮よそのこと…
ただ、唯一の学校と祖父母の家は、自然でいられる楽しい場所でした。
そんな日々が何年も続き、いつの間にかわたしは感情を出さず息だけをして、不要な動きはせず、ただ生きているだけの利口なイエスマンになっていったのです。
人形のように生きる、とはきっとこういうことをいったのでしょう。
でも、どうしても自ら命を断つこともできず…
身も心も限界に達したわたしは、
「もうどうなってもいいや」という思いで
少し肌寒くなってきた13歳の秋
中学1年生のわたしは、
着の身着のまま家を飛び出しました。
そのまま家には何年も帰ることはありませんでした。
今、考えるとゾッとしますが、ほんといい根性です。
つい数ヶ月前まではまだ、ランドセルを背負っていた少女だったのだから。
まだ幼かったわたしには、お金もツテも生活力ももちろん何もかもありません。
でも…
そんな毎日が耐えられなかったのです。
家を出てからは、とにかくそれまでのあらゆるものを解放するかのようにとことんまでグレ果て、思い切り自由を手に入れました。
ただ未熟な13歳で家を出た小娘が、世間を生きていくにはなかなか厳しく過酷でした。
幸いだったのは、外見がかなり大人びていたことです。
当時は、14歳なのに18歳と年齢をごまかして飲食店などで気まぐれに働き、バイトと夜遊びをしながらふらふら転々として過ごしました。
そのまま中学校も中1の秋からほぼ丸々行っておらず、友人や彼氏の家から、たまに顔を見せに行く程度でした。(先生方はすっかり諦めておられたようです
)
原付で学校に行ってしまうような、破天荒娘と化してしまったので、文化祭、修学旅行、部活などの学生っぽいまともな思い出は一切ありません。
もちろん、進路相談の面談や試験勉強、卒業式すら出ていませんし、高校の入試自体も経験なしの一般学習の学歴でいうと、生粋の小卒になりますね、、笑
しばらくして2つ上の彼と数年間の結婚生活同然の同棲を始めました。
しかし、またもや一方的な思い込みからの嫉妬による暴力に悩む日々。
その彼とは後にお別れをして。
それからいろいろ…月日は流れ——
20歳で結婚。
21歳で第一子、23歳で第二子を出産。
母になり、娘二人に恵まれました。
幸いわたし自身、子供も家事も好きだったので、心と気持ちを新たに入れ替え「人生を立て直す!!」と決めた、人生の最大の節目になりました。
子育てに奮闘しながらも「生」を感じる楽しい毎日。
今の時代はイクメンという言葉もありますが、わたしは当時の夫が隠れギャンブルラーだったため、家事も子供のお風呂や寝かしつけ、夜中の授乳も全て一人でしていましたが、てんてこ舞いになりながらも、自分なりに考えて工夫をし、それはそれで充実したワンオペな日々でした。
しかし、夫のギャンブルによる隠れ借金と、結婚前には発覚していた義父からのありえないセクハラ体質などがしこりとなり離婚。
シングルを経て——
数年後再婚し、現在はステップファミリーになってもうすぐ20年になります。
再婚して間もなかった頃に、二年続けて起きた子宮外妊娠によって、ふたつの小さな命と両卵管を失いました。
ステップファミリーならではの子育て方針の違いから生まれる家庭内不和や相手方の親族との問題にも悩む日々で、自分のことは後回し。
とにかくいろいろなバランスをとることに必死でした。
そんな中で自然に出会ったのが
スピリチュアルやホロスコープです。
それは、わたしに大きな気付きをもたらし、意識改革の突破口になってくれました。
ホロスコープは、たんに運勢や相性などを占うツールではありません。
非常にハードな星周りを持つ次女との確執の裏にあったもの、それぞれの強い個性。
それによる親子間、夫婦間で繰り返し起こっていた数々の問題。
そこには、見えないそれぞれの「魂の癖」や「魂の課題」があったのだということを、わたしはホロスコープから知ることができたのです。
ふっと力を抜くことができたとき、ようやく張り詰めていた糸が緩んだのでしょう。
自律神経失調症や良性発作性頭位めまい症を患ったのですが、そのすべてに無駄はなく、本音のぶつかり合い、気付き合いで起きた化学反応、そして許し合いを経て
当初からすると、まるで180度変化した違和感のない、幸せな世界線の現在があります。
人間の感情や心理、その背景。
また、命の危険を感じる体験。
身近な人の死。
自他の魂の変容プロセスを通して学び得た、これまでの経験は、何にも変え難いものになりました。
「ある」を大切にすることが、現在の引き寄せ力にも繋がっていったのだとも感じています。
スピリチュアルやホロスコープは
「魔法」ではありません。
現実逃避のツールでもありません。
ごまかしの薬でもありません。
結局は、自分自身がそれを
どう使うか、どう活かすかです。
——そして、現在は孫のいるバァバになり
つらいこと苦しいことがあったのに
どう前進してきたのか。
なぜ今、幸せを感じて生きているのか。
それは、長い時間がかかってでも
「自分の栄養に変えよう、きっと変えられる」
と、自分信じて疑わなかったことと
その時々の試練を一旦はしっかり受け取め
必要なタイミングで「忍耐」「動く」「手放す」という判断をしてきたこと。
そして、
「ある」を知ったから
だと感じています。
また、いつもわたしを気にかけてくれていた、今でも大好きで大切な亡き祖父母の、静かで多大な愛にも感謝しかありません。
プロフィールとしては以上です
そんなこんなで…
これまで生きてきたこと
自分なりの成長ができたことを
誇りに思いつつ、もしここまで読んでみて
何かしらの偏見をもった方がいても
それはそれで構いません。
価値観は人それぞれですから
ただ、今日までの全ての経験が
わたしの引き出しの数であり、
そのどれもがわたしの財産。
結果的に、出会った人や起きたことは
みんな、わたしにとっては
『おかげ』
それに、なんやかんやで結局
面白かったし🤗
どんな体験も、それは間違いなく
「あなた」という財産👣
だから、今のどんなあなたもとにかく◯
ぜんぶまるっ

senが日々、こんなブログを
書いていられるのも
人生いろいろ…これまでの経験(ネタ)が
あってのことであり、
何より、日々読んでくださる
みなさんのおかげです。
いつもありがとうございます

そして過去に、今に、感謝

