中学・高校の頃に、「なぜ勉強しなければいけないのか?」という問いに対する答えとして、「可能性を広げるため」というものをよく聞いた気がします。
つまり、勉強して良い高校に行ったほうが、多くの大学に入る可能性が高いし、良い大学を出たほうが、就職できる職種の数やチャンスが多い、という意味です。
中学生・高校生に限っていえば、それなりの割合において正しい論理ではあるのですが、果たして大学生以上、とくに社会人になってから似たような考え方を持ち続けることは正しいのだろうか?と思うようになりました。
中学生・高校生の勉強は「可能性」を広げるためのものであっても、
大学生以降の勉強は「可能性」を狭めるものであっていいと思うのです。
それは「何者か」、つまり「理想の自分」になるため。
可能性が広いとは「何者でもない」という状態で、
可能性が狭いとは「何者か」に近づいた状態、ということです。
「可能性」を広げるだけではまるで、思春期の少女が意中の人に断られるのが怖いがために告白できないでおり、そして断られていないがために安心を得ている、つまり「可能性」の中に生きている状態、と同じです。「何者か」になりたいのであれば、それが許されるのは思春期までなのです。
「可能性」を広げるためには「広く浅く」、「可能性」を狭めるためには「狭く深く」
が基本ですが、「深堀り」だけが重要という意味でもありません。
それまで全く知らなかったBという分野を勉強するとき、それまでに自分がモノにしていたAという分野との「かけ算」を考えてみることで、「可能性」が狭まります
つまり広げるときは「A or B」で、狭めるときは「A and B」の考え方にすればいいだけです。
やみくもに「OR」の勉強をしていても「何者か」にはなれません。
「AND」の勉強をすることで「可能性」を収束させ、「何者か」になるのです。
なんとなく色々な勉強をしていることで安心を得ている自分への戒めを込めて。
今日はこのくらいで。
いつもお読み頂きありがとうございます。