日本風俗史研究家の翁、森本在臣先生が今回の風俗フェスにじきじきに寄稿してくれました。人間国宝のロック魂あふれるお爺ちゃんです。


「風俗フェスによせて」


 フェスというのは本来、宗教的な祭事を指して使うものであった。それが現在では、単純なお祭り騒ぎ全てをひっくるめて「催事」には「フェス」がつくようになっている。私はなんでもかんでも「フェス」でお茶を濁すような愚かでインスタントな思考は、人類滅亡への一歩なのではないかと当初思ったのであるが、次第に考えを改めさせられるようになった。...
 「フェス」というものの決定的な熱狂感、高揚感に着目したとき、これを有効利用せずにどうする、と思ったからである。
 いまでは私も、とりあえず盛り上げたいときは「フェス」をつけておけばいい、と思っている。自分の好きなものや、そのとき興味のあるものの語尾にただ「フェス」とつけてその対象と向き合うだけで、無闇に楽しくなる気がするからだ。
「映画フェス」「音楽フェス」等の王道はもちろんのこと、興味はあるけど大々的にはとりあげられないだろうなぁ、というような対象に「フェス」をつけてみると、とたんに希望に満ちあふれた感じがすると思う。たとえば「寄生虫フェス」とか「食虫植物フェス」とか「工業部品フェス」、あるいは好きな女の子やアイドルの名前で「○○ちゃんフェス」といった具合に、ちょっとでも気になることを見つけたら、それと向き合う時間に「フェス」をつけてみると、一人でも興奮の坩堝であるし、ひょっとしたら流行っているのかも、と勘違いできるくらい盛り上がれる。
 と、書いていて掘ちえみの「ちえみちゃん祭り」を思い出したが、まぁ、それと同じ原理であろう。
 しかし、今回の「風俗フェス」はそれとはまた一味違う。なぜなら、風俗というもの自体が最初から「フェス」の要素を持ちあわせているからである。
 風俗は本来「祭り」なのである。風俗で嫌な思いや、哀しい思い出作りをしたい奴なんていない。皆膨れ上がった妄想と股間を最大限に爆発させる愉しみを求めているのだから、そのポジティブなエネルギーは凄まじいものがある。その巨大なエネルギーの集積が「風俗」であるならば、「風俗」こそフェスと同義のカテゴリーにあるのではないかと思うわけだ。
では「風俗フェス」とは何か? これはもう祭りの二乗なわけだから、空前のお祭り騒ぎである。正直ネーミングの勝利とすら私は思う。手段はどうあれ、盛り上げるだけ盛り上げることが重要なのである。
「風俗」には様々なドラマが存在する。出会いと別れ、ギャンブル的な駆け引きとスリル、新しい挑戦や感動の結末、知的興奮や性的興奮……etc、それらをどう楽しむかはその人次第であるが、その「風俗」という祭りを、自分好みにデザインするという愉しみを各自が持てるようになれば、もっと「風俗」は盛り上がるのではないかと思う。大切なのは「フェス」でもなんでもいいから、全力で自分を盛り上げることなのだ。
 「風俗」を最初からシーンや業界として捉えて盛り上げるよりも、個人が全力で「風俗」に盛り上がることがまず必要で、その為の起爆剤には「フェス」がやはり欠かせない要素であると私は考える。なので、今回の「風俗フェス」は正解であるし、「風俗」の面白さを再確認する意味でも、必然のイベントなのである。


 日本風俗史研究家 森本在臣