「やあ、智代君。こんにちは」


昼休み、私が部室に入ると雪村先輩は高校生とは思えない落ち着いた物腰で本から視線を上げて挨拶した。
ともすれば冷たそうという印象を与えかねないやや切れ長の瞳に、よく通った鼻筋、私と取り換えてほしいくらいサラサラな黒髪、今は学校の制服である黒い学ランを着ているが生徒会長でもやって白い学ランでも着た方が似合うんじゃないか、と思う。
本人もそういった自分の顔立ちに自覚的なのか細い銀縁眼鏡なんていう見事な知性アピール小道具を付けている。


「お久しぶりです、幸村先輩」
「ああ、ひさしぶり。会えない時間が愛を育てるというがあれは本当だね。今久しぶりに君の顔を見て私はかつてないほどの親愛の情を覚えている」
「会えない時間に勝手な理想と本人像ごっちゃになっただけです、それ。きっとこれから失望でその親愛の情が余って憎悪に変換されます」


戯言を聞き流しながら部室の片隅に置いてあるポットから紙コップにお湯を注ぎ緑茶のパックを沈める。
常にお湯が入っているわけではないからきっと先輩が自分のためにお湯を沸かした余りということだろう。その点だけは先輩が来てくれてうれしいと言える。
緑茶と持ってきた弁当を机の上に置いて先輩の方をみると頭痛に耐えているような苦虫をかみつぶしたような微妙な表情を浮かべていた。
しかし、虫なんて噛みつぶしたら吐き気を抑えるのに必死で、そんな顔を歪めるとかリアクションとっている余裕は私にはない。


「どうしたんですか?あ、弁当ならあげませんよ」


手をだしたら箸を刺すぞ、というようにグーで箸を持って構えるが、別に弁当に手を出そうとはしないようだった。


「いや、君がどういう性格をようやっと思い出せて色々と感慨に耽っていたところだ」
「と、いうかどうして幸村先輩はここにいるんですか?入試の方は終わったんですか?」


みまみまと唐揚げを食べながらふと気になったところを聞いてみる。
この人は幸村先輩、文芸部の元部長で部長の座を最近人に譲り渡して後は大学入試試験を頑張って卒業するだけという身分のはずだ。少なくてもこの2月という月に部室で本を読んで悠々自適に過ごす立場の人間じゃない。


「受験か、なにもかもなつかしい」
「終わったんですか?」
「ああ、これで晴れて自由の身というわけさ」


2月の14日という日時が受験終了の時間として早いかどうかは私にはわからないがおそらく早いのだろう。


「どうやら、英語が全然訳せなくて適当に選んだ選択肢のことごとくが正解していたようだ。神は私に大学生であれ、とそう言っているようだな」


そう、こんな物腰で眼鏡なんていう知的アイテムを着用しているが雪村先輩は実は全然勉強ができない。いつも赤点をとって補修を受けるような人間なのだ。
しかもその癖、文芸部員として書く文章はそうとうな文学よりだ。もはや、人間失格すら読んだことなく中二病患者で将来焼き払いたくなるであろう黒歴史を量産するライトノベル書きの男子部員と、男性同士がいちゃつく話が好きで文学よりもアニメの話を好む女子部員の集まりであるこの部で文学よりというのは相当に浮いている。
本人に言わせれば、せっかくの部活なのにそんな商業レーベルに認められるような物を作ってどうする芸術をやって評価される状況なんて相当にレアなのだから今は芸術をやるさ、ということらしい。
ちなみに最近書いた作品の筋書きは、主人公が自分のことを理解してもらおうと小説を書くのだが自らの書いた小説によって多大な影響を受けた自分はすでにその小説を書いた自分とは乖離しておりそこに自分はおらず結局誰にも理解されない、などと意味のわからない悩みをもった病的な人が延々と意味のわからないことをのたまうという病人小説だ。


「で、終わったのは分かりましたが、じゃあどうしてここにいるんですか?」
「無論、チョコを貰いに来たのさ」
「…………はぁ」
「ギブミー、チョコレート」


やたらといい声と顔ですっ、と手を伸ばす。間にちょっと間を作るのがポイントのようだ。
まるでドラマの1シーンかのように決まっていた。


「でも、準備期間考えると最低でも前日には来ることを知らせないと貰えるわけないですよね?」
「む?」


何を言っているのか理解できない、という表情の雪村先輩。わかりやすく身近な例をあげると雪村先輩の小説を読んだ時の部員の反応と一緒である。
もっとも、私は幸村先輩とは違ってコミニュケーションに対する反逆者というわけではないのでキチンと相手に理解できるように説明する。


「ですから、今この瞬間学校にチョコレートを持ってきている人はですね?」
「ふむ」
「例えば、昨日の段階で鞄にチョコを忍ばせるか今日の朝行きがけに買ってきた人なわけです」
「まあ、そうだな。理論的にはもっと前から鞄に潜ませるという手もあるが、まあその可能性は除いて考えてもいいだろう」
「つまり、今日学校に来てから雪村先輩が来ていることを知っても雪村先輩のためのチョコなんて用意できません」
「………それは―――」


顎に手を添えて考える素振りを見せる雪村先輩。こういう仕草を自然にできるのは幸村先輩の顔が整っているからだ、美形ってずるい。


「それは土下座してもどうにもならないことかな?」
「なりません。理屈的には」
「いや、私の土下座はすごいぞ?」
「すごくても無理なものは無理です」
「ある人は私の土下座に切腹する侍を幻視して、またある人は私の下に焼き鉄板を幻視したという。人呼んで雪村マイソロジー、私の土下座は悪魔だって同情で涙する勢いだ!」
「ですから、どんなに土下座がすごかろうと鞄の中にチョコが突然出現することなんてありませんよ。それとも先輩の土下座は因果関係を歪曲できるほど凄いんですか?」
「因果関係か、ちょっと相手が悪いな。物理現象とかそういう大ボス級の相手以外ならどうにかなるような凄い土下座なんだが」


よほど、土下座に自信があるらしい。いったい、どういう人生を送れば土下座に自信を持っているパーソナリティが生まれるのか疑問である。
そこまですごい土下座なら一度見てみたくはあったが、これ以上土下座トークを続けられても対応に困るので土下座トークを打ち切ることにする。


「だいたいですね、ホワイトデーとかいう返却する日が用意されているんですからそのお金で自分の好きな物を買って食べた方がよっぽどいいんじゃないですか?」
「どうやら君は食うた餅より心持ちという言葉を知らぬと見える。プレゼントとは相手の気持ちを受け取るものなのだよ。君が言っているのは手紙をもらって紙くずなんて貰ってもしょうがないというのと一緒だよ」


ちっ、口のまわる人間だ、こざかしい。


「今、君はとても先輩相手にするべきではない邪悪な表情を見せなかったかな」
「錯覚です。あ、でもどうしてこざかしいって表現は生意気だ、みたいな表現なんでしょうね。小さく賢しいならならそれなりにいい意味で使われても良さそうなものなのに」
「その質問はついさっき頭の中で私のことを小賢しいと表現したという告白にも取れないかな」
「錯覚です」
「まあいい、生兵法は怪我のもと、策士策に溺れる。中途半端に賢しい人間はまったく頭を使おうとしない人間よりもなにもできないということなのかもな」


幸村先輩は肩をすくめて答える。
一つ一つの態度が芝居がかっているのはやはり自分の美系さに自覚的だからであろうか?
ちょっと考えてみたがきっとそれは違う、この人は美系じゃなくても同じ態度をとっていただろう。その場合は周囲から馬鹿キャラの烙印を与えられるだろうが。
でも、この人中途半端にことわざを使ったりで完全に馬鹿キャラというわけでもないんだよな、むしろ勉強さえできればこのまま知的キャラに………うーん、それも無理あるか。


「君は人が真面目に疑問に対して考察しているというのにどうでもいいことを考えていないかい?」
「寝言は寝て言って下さい。読心能力者にでもなったつもりですか?」
「ところで、その弁当は美味しそうだね。ここはチョコの代わりに本命唐揚げというのはどうかな?」
「弁当の半径50センチ以内に手を伸ばしたら容赦なく突きます」
「ほう?」


ゆらりと手を動かして聞く、どうやら私の箸による攻撃とスピード勝負するつもりらしい。制空権にギリギリ入らないくらいの所で手を構える。


「試すのはいいですが失明しますよ?」
「………………そういえばさっき聞き忘れたけど50センチ以内に入ったら何で何を突くって?」
「箸で、先輩の、眼球を、です」


幸村先輩は曖昧に笑って手をゆっくりと元の位置に戻した、急に動かすと私を刺激して危ないとでも思ったのかもしれない。
そして、私に動きがないのを見て取ると座ったままずりずりと数センチ椅子を後ろに下げて攻撃に備えた。
相手に交戦の意思がないと分かったので食事を再開する。


「うーん、でもよかったですよね」
「ん、何が?」
「カカオうんたら%ブームとバレンタインデイが離れてて、重なってたら全国に苦いチョコレートを渡されてどうしようか的ないっぱい出没したと思うんですよね」
「99%とかアレは違う。食べ物じゃないとまで言うつもりはないけど少なくてもチョコレートじゃない。チョコレートのイデアを有してない」


青ざめた表情でぶつぶつと呟く先輩。
さすがミーハーだけあって手を出したらしい。


「そもそも、ですね。バレンタインとか女子の方だっていい加減にして欲しいんです。そういう面倒なのは漫画の中だけでやって欲しいです。だいたい、男はみんな勘違いしていますがバレンタインは告白のときにやるイベントじゃないです、アレはすでに恋人がいる人がいちゃつく口実にやる企画です。振られたらチョコ代が無駄になりますし、無意味にリスク高いです」
「まあ、私もいい加減にして欲しいと思うよ。貰えずに終わったときは」
「じゃあ、今年も思うんですね?」


意識して輝く様な笑顔を浮かべてみる。
すると何故か私の笑顔に反比例するように暗い笑顔を返された。
私はため息をつく。


「そういえば、先輩はいつまでここにいるつもりなんですか?」
「え?ああ、とりあえず放課後まで粘ってみるつもりだけど」
「それはいいですがテスト前なので活動はありません。居ても誰も来ませんよ」
「え、それじゃあ君はなんでいるわけ?」


間。


「ひょっとして、クラスで浮いててクラスで昼食を食べられない人?」
「そう思っても普通は口にしませんよ」
「あ、そっか。ごめん」
「謝らないでください。そういった事情じゃ………んー、微妙。仲のいい友達がインフルエンザでダウンしたんです、まあ、確かに友達が多い方じゃないからそういう事態になったんだと言われればそうですけど」
「友達って友の複数形っぽいよね」
「それ、気を使って話題を変えようとしているのなら機転が最悪ですし、自然に出てきたんだとしても会話の流れ的に最悪です。そんなことないよー的なコメントするか、それとも流すならもっと関係ないところに流すかだと思います」
「うーん、会話って難しい」

反省したように頭を押さえる仕草を見ると恐らく前者の最悪だったんだろうな、と思う。

「ごちそうさま。食べ終わったので私もう行きますね?次、移動教室なんです。先輩もとっとと帰った方がいいと思いますよ?」
「ふ、私はもう少しここにいるさ。人事尽くしてチョコを待つってね」







私は馬鹿だと思う。
でも、期待せずに部室を開けたらもっと馬鹿な奴がいた。
そいつは夕日が差し込む部室で本から目を上げてこちらを見て言った。


「やあ、智代君。こんにちは」
「何でまだいるんですか、あれから何時間立っていると思っているんですか?」
「信じる者は救われる、だよ」
「それきっとすくわれるのは足下とかです」


ふっ、と雪村先輩は微笑んで本をパタンと閉じた。


「まあ、確かに今日いきなり来てチョコを受け取ることは難しいという理屈は正しい。しかし、それはあの時あの場所でということだ。例えば、今、HRが終わって一度近所の店に行って帰ってくるだけの時間が残されている場合などは例外となる」


不可能犯罪のトリックがわかった探偵のように先輩は喋り始める。持っている本の表紙は見れないが、間違いなく探偵小説なんだろう。
しかし、この夕陽の差し込む教室という空間は、確かに探偵ごっこの一つでも始めたくなるくらい雰囲気のある空間だ。ましてや、自分が美形だと自覚している芝居がかった人間にはなおさらだろう。


「私と君はこの2年間それなりに上手くやってきたつもりだ。さて、その君が土下座する覚悟でチョコを欲しがっていると知っている私を放置することができるだろうか?しかも、授業中なんていう余計な事をごちゃごちゃと考えるためにあるような時間が直後に控えていて、だ」


余計な事をごちゃごちゃと考えているから勉強できなんです、ちゃんと授業聞いて下さい。


「しかも、私は意地を張ってここで粘るなどと言っている。ここまでくれば買ってくることもあるだろう。私はその可能性に賭けて、勝った。いやはや、信頼とは強くて美しい」
「先輩―――


本当にそんな展開だと思っているんですか?」


先輩は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。
もっとも、鳩は攻撃されれば飛び立つから顔なんて見れないし、常時そこはかとなくキョトンとした顔をしているが。


「当たっているのは一点だけです。今私がチョコを持っているというのは正解ですし、それをこれから先輩に贈呈しようと思っているのも当たりです。でもそれ以外はまったく違います」
「む、しかし理屈から言って買ってくる以外にチョコを持っている道理がないだろう」

自分の推理に未練があるのか食いつく先輩。

「理屈的にいえばそうです。でも、人間ってそんな理屈で生きる動物ですか?例えば、去年とかだってチョコを持ってきておいて結局渡さず自分で帰ってから食べるようなおかしな人がいました。今年も先輩が来るはずないと思っていたのになんとなくチョコを持ってきたおかしな人がいました。さらに、それで先輩がいたというのに自分の様々な葛藤が「ギブミー、チョコレート」の一言で片づけられてなんとなくカチンときて結局渡せなかった馬鹿な女の子がいたんです」


フリーズしている先輩の前で鞄からチョコを取り出して、両手で差し出す。イメージとしては卒業証書を渡す時のような感じ。


「先輩、チョコと―――それに私の気持ちです、受け取ってください」











「それで結局これって義理なの、それとも本命なの?」
「そういうのって空気を察して言わないからいいんだと思います。なんていうか、空気読めです、最悪です」

おわれ