思いっきしテキトーでマヌケな抜粋をやってたことに気づいたので、一部改訂!(アホかしかし…)したがいまして、後半の結論ががらっと変わりました(笑)
引用文は予めちゃんと読んどかんとあきまへんな、ついつい飛びついてしもた。
戦後教育ではまともに教え込まれていない日本史の、特に昭和史の中で語られる戦前というのは、軍国主義イコール右翼、天皇陛下万歳のキーワードだけが一人歩きしてしまっております。果たして本当にそうなのか? 答えは嘘八百というのが100%正解と思います。
むしろ、日露戦争以後、大正デモクラシーを経て昭和大恐慌、軍部の台頭、統制経済という一連の流れをみると、状況的には社会主義とみるのがじっさいには正しいと言えそうです。担いだ対象が、天皇陛下だから、話がややこしくなってしまったというところです。
そもそも、20世紀初頭の社会主義を後押ししたのはユダヤとも言われております。もっとも巨富を得る手っ取り早い手段は武器の売買です。特に20世紀初頭というのは、ライト兄弟の飛行機発明に始まり、第1次世界大戦では戦車や2枚羽の戦闘機の登場を見るようになった。軍事的な飛躍的技術革新の大波、そちらの方面での需要が見込めれば見込めるほど、投資する側として旨味があるのは分かり切ってます。ユダヤがそういうのに目をつけ、数多くの対立構造を産むためにロシアの貧民層にマルクスの考えを吹き込み階級闘争を煽ったとすれば、革命はユダヤにとっては巨億の富を得る絶好の集金装置になります。そして、そこで登場するコミンテルンが世界各国にちらばり、ちらばった方々でさらに階級闘争、または国家間の闘争を吹きかけるとなると、これまた濡れ手に粟が常態化してくる。要は、自由主義・列強陣営にも投資し、社会主義陣営にも投資し、両者を争わせても、ユダヤは損しないというシステムを確立したのが20世紀前半に集約される歴史の実相とみたほうが状況的にも正しそうです。
そういう視点から眺めると、日本が深みに落ちて行った日中戦争、大東亜戦争が起きるからくりも、けっこうスムーズに理解できる。
おそらく直接的なユダヤの関与はそれこそブラックボックスと思うが、日露戦争で日本が戦勝し、その後、大正時代に移ってからは、既に日韓が併合されていたかどで、新たな渡来人が日本本土にも行き来するようになった。そして、ロシアで起きつつある革命思想にシンパシーを感じる文化人、演劇人も多数輩出する時代背景でもあった。特に当時の日本のブルジョアと言われているような人々が、プロレタリア文学や革命思想に染まってしまっていくということでもあった。そして、大正デモクラシーの時代というのは、政治談義や天下国家を語る上においても、右翼も左翼もなく闊達に議論していた、一見するといい時代に見えた。そういう時代の大正時代後半、時代の寵児として上海より舞い戻った新潟県人が、北輝次郎、いわゆる北一輝であります。
北一輝(1883~1937)ウィキペディアより
のちに自分のシンパだった皇道派の青年将校たちをそそのかせて、2.26事件を理論的に首謀したという門で昭和12年に軍部に処刑されたというその人です。だから、軍部といえば戦後の人らはすぐ右翼と結びつけ勝ちであるけども、誰によって軍部が変質していったかは、実は左翼思想家だったというのが実態です。北一輝は明治39年(1906年)に中国革命同盟会に入党して、実際に活動した経歴を持っている。そしてその年に『国体論及び純正社会主義』(『國體論及び純正社會主義』)を刊行している。そして大正12年(1923年)、軍部変質の引き金とも言える『日本改造法案大綱』を著しています。その中身の天皇に関する記述を下記に引用しておきます。読んだらビビリます。
天皇ノ原義
天皇ハ国氏ノ総代表タリ、国家ノ根柱タルノ原理主義ヲ明ラカニス。
コノ理義ヲ明ラカニセンガタメニ神武国祖ノ創業、明治大帝ノ革命ニノットリテ宮中ノ一新ヲ図リ、現時ノ枢密顧問官ソノ他ノ官吏ヲ罷免シモッテ天皇ヲ補佐シ得ベキ器ヲ広ク天下ニ求ム。
天皇ヲ補佐スベキ顧問ヲ設ク。顧問院議員ハ天皇ニ任命セラレソノ人員ヲ五十名トス。
顧問院議員ハ内閣会議ノ決議オヨビ議会ノ不信任決議ニ対シテ天皇ニ辞表ヲ捧呈スベシ。タダシ内閣オヨビ議会ニ対シテ責任ヲ負ウモノニアラズ。
注一 日本ノ国体ハ三段ノ進化ヲナルヲモッテ天皇ノ意義マタ三段ノ進化ヲナセリ。第一期ハ藤原氏ヨリ平氏ノ過度期ニ至ル専制君主国時代ナリ。コノ間理論上天皇ハスベテノ土地ト人民トヲ私有財産トシテ所有シ生殺与奪ノ権ヲ有シタリ。第二期ハ源氏ヨリ徳川氏ニ至ルマデノ貴族国時代ナリ。コノ間ハ各地ノ群雄マタハ諸侯ガオノオノソノ範囲ニオイテ土地ト人氏トヲ私有シソノ上ニ君臨シタル幾多ノ小国家小君主トシテ交戦シ聯盟シタルモノナリ。シタガッテ天皇ハ第一期ノ意義ニ代ウルニ、コレラ小君主ノ盟主タル幕府ニ光栄ヲ加冠スルローマ法王トシテ、国民信仰ノ伝統的中心トシテノ意義ヲモッテシタリ。コノ進化ハ欧州中世史ノ諸侯国神聖皇帝ローマ法王ト符節ヲ合スルゴトシ。第三期ハ武士ト人氏トノ人格的覚醒ニヨリオノオノソノ君主タル将軍マタハ諸侯ノ私有ヨリ解放サレントシタル維新革命ニ始マレル民主国時代ナリ。コノ時ヨリノ天皇ハ純然タル政治的中心ノ意義ヲ有シ、コノ国民運動ノ指揮者タリシ以来現代民主国ノ総代表トシテ国家ヲ代表スル者ナリ。スナワチ維新革命以来ノ日本ハ天皇ヲ政治的中心トシタル近代的民主国ナリ。何ゾ我ニ乏シキモノナルカノゴトクカノ「デモクラシー」ノ直訳輸入ノ要アランヤ。コノ歴史ト現代トヲ理解セザル頑迷国体論者ト欧米崇拝者トノ争闘ハ実ニ非常ナル不祥ヲ天皇ト国民トノ間ニ爆発セシムルモノナリ。両者ノ救ウベカラザル迷妄ヲ戒シム。
注二 国民ノ総代者ガ投票当選者タル制度ノ国家ガアル特異ナル一人タル制度ノ国ヨリ優越ナリト考ウル「デモクラシー」ハ全ク科学的根拠ナシ。国家ハオノオノソノ国民精神ト建国歴史ヲ異ニス。民国八年マデノ支那ガ前者タル理由ニヨリテ後者タルべルギーヨリ合理的ナリト言ウアタワズ。米人ノ「デモクラシー」トハ社会ハ個人ノ自由意志ニヨル自由契約ニ成ルトイイシ当時ノ幼稚極マル時代思想ニヨリテ、各欧州本国ヨリ離脱シタル個々人ガ村落的結合ヲナシテ国ヲ建テタルモノナリ。ソノ投票神権説ハ当時ノ帝王神権説ヲ反対方面ヨリ表現シタル低能哲学ナリ。日本ハカカル建国ニモアラズ、マタカカル低能哲学ニ支配サレタル時代モナシ。国家ノ元首ガ売名的多弁ヲ弄シ下級俳優ノゴトキ身振ヲ晒シテ当選ヲ争ウ制度ハ、沈黙ハ金ナリヲ信条トシ謙遜ノ美徳ヲ教養セラレル日本民族ニトリテハ一ニ奇異ナル風俗トシテ傍観スレバ足ル。
長いので、じっさい読むのはしんどいですが、赤の太字の部分の文章、このへんのセリフは、現代中国の温家宝あたりが、たとえばアメリカが、中国の人権問題に口出しし問いただしたときの返し言葉に酷似している。「国家は各々国民精神と建国以来の歴史がちがう」というくだり。それとその前に書いてある「スナワチ維新革命以来ノ日本ハ天皇ヲ政治的中心トシタル近代的民主国ナリ。」そのあとの、何が哀しいて、デモクラシーの直輸入であるかのような、西欧民主主義を真似る必要があろう。という言い方の唯我独尊ぶりがこれまた、今の中国を思い起こさせるものがある。大日本国憲法からはそれほど、感じなかったことであるが、ここまで西欧デモクラシーと一線を自分から引いて、そのうえ天皇陛下を「政治的中心」とする思惑が北朝鮮か中国のそれに近いものをやはり、色濃く匂わせているように感じる。
だから、北一輝の考えは中華思想に基づいた天皇制と考えられる。
こういう考えに基づいて国づくりしてしてしまうと、どうしてもソ連、中共、北朝鮮、ドイツ第3帝国、戦前日本のような形に陥ってしまうというところです。
戦後左翼が戦前を憎むのも、やはり近親憎悪の、内部抗争好きの血の成せるわざとも考えられるし、やっぱり、深い部分は触れられたくないってのもあるんかも知れません。そりゃ戦前が社会主義だったら、そりゃ社民党や共産党は逃げ場を失いますわね。
引用文は予めちゃんと読んどかんとあきまへんな、ついつい飛びついてしもた。
戦後教育ではまともに教え込まれていない日本史の、特に昭和史の中で語られる戦前というのは、軍国主義イコール右翼、天皇陛下万歳のキーワードだけが一人歩きしてしまっております。果たして本当にそうなのか? 答えは嘘八百というのが100%正解と思います。
むしろ、日露戦争以後、大正デモクラシーを経て昭和大恐慌、軍部の台頭、統制経済という一連の流れをみると、状況的には社会主義とみるのがじっさいには正しいと言えそうです。担いだ対象が、天皇陛下だから、話がややこしくなってしまったというところです。
そもそも、20世紀初頭の社会主義を後押ししたのはユダヤとも言われております。もっとも巨富を得る手っ取り早い手段は武器の売買です。特に20世紀初頭というのは、ライト兄弟の飛行機発明に始まり、第1次世界大戦では戦車や2枚羽の戦闘機の登場を見るようになった。軍事的な飛躍的技術革新の大波、そちらの方面での需要が見込めれば見込めるほど、投資する側として旨味があるのは分かり切ってます。ユダヤがそういうのに目をつけ、数多くの対立構造を産むためにロシアの貧民層にマルクスの考えを吹き込み階級闘争を煽ったとすれば、革命はユダヤにとっては巨億の富を得る絶好の集金装置になります。そして、そこで登場するコミンテルンが世界各国にちらばり、ちらばった方々でさらに階級闘争、または国家間の闘争を吹きかけるとなると、これまた濡れ手に粟が常態化してくる。要は、自由主義・列強陣営にも投資し、社会主義陣営にも投資し、両者を争わせても、ユダヤは損しないというシステムを確立したのが20世紀前半に集約される歴史の実相とみたほうが状況的にも正しそうです。
そういう視点から眺めると、日本が深みに落ちて行った日中戦争、大東亜戦争が起きるからくりも、けっこうスムーズに理解できる。
おそらく直接的なユダヤの関与はそれこそブラックボックスと思うが、日露戦争で日本が戦勝し、その後、大正時代に移ってからは、既に日韓が併合されていたかどで、新たな渡来人が日本本土にも行き来するようになった。そして、ロシアで起きつつある革命思想にシンパシーを感じる文化人、演劇人も多数輩出する時代背景でもあった。特に当時の日本のブルジョアと言われているような人々が、プロレタリア文学や革命思想に染まってしまっていくということでもあった。そして、大正デモクラシーの時代というのは、政治談義や天下国家を語る上においても、右翼も左翼もなく闊達に議論していた、一見するといい時代に見えた。そういう時代の大正時代後半、時代の寵児として上海より舞い戻った新潟県人が、北輝次郎、いわゆる北一輝であります。
北一輝(1883~1937)ウィキペディアよりのちに自分のシンパだった皇道派の青年将校たちをそそのかせて、2.26事件を理論的に首謀したという門で昭和12年に軍部に処刑されたというその人です。だから、軍部といえば戦後の人らはすぐ右翼と結びつけ勝ちであるけども、誰によって軍部が変質していったかは、実は左翼思想家だったというのが実態です。北一輝は明治39年(1906年)に中国革命同盟会に入党して、実際に活動した経歴を持っている。そしてその年に『国体論及び純正社会主義』(『國體論及び純正社會主義』)を刊行している。そして大正12年(1923年)、軍部変質の引き金とも言える『日本改造法案大綱』を著しています。その中身の天皇に関する記述を下記に引用しておきます。読んだらビビリます。
天皇ノ原義
天皇ハ国氏ノ総代表タリ、国家ノ根柱タルノ原理主義ヲ明ラカニス。
コノ理義ヲ明ラカニセンガタメニ神武国祖ノ創業、明治大帝ノ革命ニノットリテ宮中ノ一新ヲ図リ、現時ノ枢密顧問官ソノ他ノ官吏ヲ罷免シモッテ天皇ヲ補佐シ得ベキ器ヲ広ク天下ニ求ム。
天皇ヲ補佐スベキ顧問ヲ設ク。顧問院議員ハ天皇ニ任命セラレソノ人員ヲ五十名トス。
顧問院議員ハ内閣会議ノ決議オヨビ議会ノ不信任決議ニ対シテ天皇ニ辞表ヲ捧呈スベシ。タダシ内閣オヨビ議会ニ対シテ責任ヲ負ウモノニアラズ。
注一 日本ノ国体ハ三段ノ進化ヲナルヲモッテ天皇ノ意義マタ三段ノ進化ヲナセリ。第一期ハ藤原氏ヨリ平氏ノ過度期ニ至ル専制君主国時代ナリ。コノ間理論上天皇ハスベテノ土地ト人民トヲ私有財産トシテ所有シ生殺与奪ノ権ヲ有シタリ。第二期ハ源氏ヨリ徳川氏ニ至ルマデノ貴族国時代ナリ。コノ間ハ各地ノ群雄マタハ諸侯ガオノオノソノ範囲ニオイテ土地ト人氏トヲ私有シソノ上ニ君臨シタル幾多ノ小国家小君主トシテ交戦シ聯盟シタルモノナリ。シタガッテ天皇ハ第一期ノ意義ニ代ウルニ、コレラ小君主ノ盟主タル幕府ニ光栄ヲ加冠スルローマ法王トシテ、国民信仰ノ伝統的中心トシテノ意義ヲモッテシタリ。コノ進化ハ欧州中世史ノ諸侯国神聖皇帝ローマ法王ト符節ヲ合スルゴトシ。第三期ハ武士ト人氏トノ人格的覚醒ニヨリオノオノソノ君主タル将軍マタハ諸侯ノ私有ヨリ解放サレントシタル維新革命ニ始マレル民主国時代ナリ。コノ時ヨリノ天皇ハ純然タル政治的中心ノ意義ヲ有シ、コノ国民運動ノ指揮者タリシ以来現代民主国ノ総代表トシテ国家ヲ代表スル者ナリ。スナワチ維新革命以来ノ日本ハ天皇ヲ政治的中心トシタル近代的民主国ナリ。何ゾ我ニ乏シキモノナルカノゴトクカノ「デモクラシー」ノ直訳輸入ノ要アランヤ。コノ歴史ト現代トヲ理解セザル頑迷国体論者ト欧米崇拝者トノ争闘ハ実ニ非常ナル不祥ヲ天皇ト国民トノ間ニ爆発セシムルモノナリ。両者ノ救ウベカラザル迷妄ヲ戒シム。
注二 国民ノ総代者ガ投票当選者タル制度ノ国家ガアル特異ナル一人タル制度ノ国ヨリ優越ナリト考ウル「デモクラシー」ハ全ク科学的根拠ナシ。国家ハオノオノソノ国民精神ト建国歴史ヲ異ニス。民国八年マデノ支那ガ前者タル理由ニヨリテ後者タルべルギーヨリ合理的ナリト言ウアタワズ。米人ノ「デモクラシー」トハ社会ハ個人ノ自由意志ニヨル自由契約ニ成ルトイイシ当時ノ幼稚極マル時代思想ニヨリテ、各欧州本国ヨリ離脱シタル個々人ガ村落的結合ヲナシテ国ヲ建テタルモノナリ。ソノ投票神権説ハ当時ノ帝王神権説ヲ反対方面ヨリ表現シタル低能哲学ナリ。日本ハカカル建国ニモアラズ、マタカカル低能哲学ニ支配サレタル時代モナシ。国家ノ元首ガ売名的多弁ヲ弄シ下級俳優ノゴトキ身振ヲ晒シテ当選ヲ争ウ制度ハ、沈黙ハ金ナリヲ信条トシ謙遜ノ美徳ヲ教養セラレル日本民族ニトリテハ一ニ奇異ナル風俗トシテ傍観スレバ足ル。
長いので、じっさい読むのはしんどいですが、赤の太字の部分の文章、このへんのセリフは、現代中国の温家宝あたりが、たとえばアメリカが、中国の人権問題に口出しし問いただしたときの返し言葉に酷似している。「国家は各々国民精神と建国以来の歴史がちがう」というくだり。それとその前に書いてある「スナワチ維新革命以来ノ日本ハ天皇ヲ政治的中心トシタル近代的民主国ナリ。」そのあとの、何が哀しいて、デモクラシーの直輸入であるかのような、西欧民主主義を真似る必要があろう。という言い方の唯我独尊ぶりがこれまた、今の中国を思い起こさせるものがある。大日本国憲法からはそれほど、感じなかったことであるが、ここまで西欧デモクラシーと一線を自分から引いて、そのうえ天皇陛下を「政治的中心」とする思惑が北朝鮮か中国のそれに近いものをやはり、色濃く匂わせているように感じる。
だから、北一輝の考えは中華思想に基づいた天皇制と考えられる。
こういう考えに基づいて国づくりしてしてしまうと、どうしてもソ連、中共、北朝鮮、ドイツ第3帝国、戦前日本のような形に陥ってしまうというところです。
戦後左翼が戦前を憎むのも、やはり近親憎悪の、内部抗争好きの血の成せるわざとも考えられるし、やっぱり、深い部分は触れられたくないってのもあるんかも知れません。そりゃ戦前が社会主義だったら、そりゃ社民党や共産党は逃げ場を失いますわね。