蝶々とモグラ。 | セミクイの一生

セミクイの一生

運命の分かれ道にいる、どん底の2020年。この先どうなるか?約半世紀に渡る人生記録。タイランドから発信。※2020年11月から日本帰国中

 

※30年近く前のお話です。

 

 6年生の終わり頃、

父は引っ越し先を

探していました。


最初は通っている

小学校の地域の

進学先中学エリア

で探してくれていましたが


そのうち


『どうせ中学って

みんなバラバラなんだろ?』


と言い出して

都外に物件エリアを

広げて探していました。


引っ越しが、

かなり家賃滞納

していた果ての

事と知ったのは

だいぶ後。


その頃同時に

父の釣り仲間の

お隣の部屋の

一家も引っ越す

ことになっていました。


例の包丁餞別バトル

のご一家ね😅

 

トラウマ級 両親の夫婦喧嘩


このお隣のご一家、


旦那さんがお医者様で

とーっても優しく

穏やかな方でした。


奥さんはサザエさん

みたいな感じ!

明るく元気。


マンションの人気者。


我が家にもとても

良くしてくれて


うちの母が夜いない

事を気にかけて

くれたり


勉強教えてくれたり。


母の事も仲間に入れ

旅行に行ったり。


本当に良い方で

人望も厚かったです。


もともと名古屋から

一時的に都内に転勤

していて、また

名古屋に戻る事に。


そんなご一家の

引っ越しの日。


マンション住民

だけではなく

他からも別れを

惜しみにたくさんの

方が来ていました。


外からは皆の泣く声。


母は顔が出せず

ずっと部屋に居ました。


でも、奥さんに会って


お別れを言いたくて

泣いていました。


いよいよ車が

出発する直前、

おばちゃんが

うちに来ました。


おばちゃんも母も

号泣しながら

抱き合っていましたが


母が言ったんです。


『皆は

(おばちゃん一家)


蝶々みたいに

綺麗に飛んでくのに


私達 モグラみたい

隠れて逃げるだ


恥ずかしい…』




その言葉が
今も離れません。

 同じ引っ越しでも

あまりにも違いが

大きく、自分が

惨めで仕方なかったんですね。


結局、我が家は

私が卒業式を

迎えても、

引っ越し先が決まらず。


先の見えない

日々でした。

 

ちょうちょおしまいモグラ

 

下矢印フォローといいねで元気出るぅ!!いつもダラダラと長い文章でごめんなさい!!

フォローしてね!

 

 

 

 

下矢印ブログ村ランキングに登録中です。クリックおねがいしますラブラブ

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村