みなさんこんにちは。こんばんは。
今日は前回書かせてもらった「うさぎとカメ」についての検証記事パート2って事になります。
まったく興味のない方には退屈至極な記事となっておるやもしれませんが・・・よかったら最後まで読んでいってくれるとうれしいです。
それでは!
今回検証中である「うさぎとカメ」の昔話なのですが、元ネタがイソップ寓話にある事までは前回の記事で書かせていただきました。
まぁ、カメの事しか頭のない私としましては、イソップ寓話がどの時代にどのような経緯で日本へと伝わったのかサッパリわかりません。
ですので、にわかではありますが少々調べてみました。
イソップ寓話 ~wikiより~
ヘロドトスの『歴史』によると、紀元前6世紀にアイソーポスという奴隷がいて寓話を使いその名声をえたとされている。現在のイソップ寓話集と呼ばれるものには、アイソーポスのものだけではなく、それ以前から伝承されてきた古代メソポタミアのもの、後世の寓話、アイソーポスの出身地とされる(小アジア)の民話を基にしたものも含まれている。考古学的には、彼の歴史的な存在を確認するものはなく、ホメロスと同じような過程で、ギリシャにおいて、いつの頃からか、この名が多くの寓話を語る者たちや寓話そのものの総称となっていったと考えられている。
つまり簡単に言うと、その起源は紀元前6世紀までさかのぼる事ができ、アイソーボスという奴隷が寓話を伝えていた。
現在ではアイソーボス自身が伝えた物だけではなく、多くの出所不明な話までまざりにまざっている・・・という事ですね。
まぁ、現在の書店に例えるなら旅行・学習・コミックのように「イソップ」というジャンルがあったのかも知れません・・・(歴史の古さからして紙があるはずもなく、それこそ口伝えに親から子へ子からそのまた子へと語り継がれたのでしょう。)
そのイソップ寓話がどのように日本へ伝わったてきたのか!?気になりますよね。(私だけですかね?)
(画像:wiki Aesopus moralisatus, 1485)
以下wikiより
日本では、1593年(文禄2年)に『イソポのハブラス (ESOPO NO FABVLAS)』として紹介されたのが始まりで、これはイエズス会の宣教師がラテン語から翻訳したものと考えられており、天草にあったコレジオ(イエズス会の学校)で印刷されたローマ字のものである。非常に古くに日本に取り入れられた西洋の書物といえる。その後江戸時代初期から『伊曾保物語』として各種出版され、普及し、その過程で「兎と亀」などのように日本の昔話へと変化するものもあらわれた。
うむぅ~・・・何点か腑に落ちない部分があるんですよね~。
江戸時代初期から『伊曾保物語』として各種出版され普及し、<「うさぎとカメ」などのように日本の昔話へと変化するものも現れた>この<>がとても納得できないのです。
先述したとおり、「うさぎとカメ」が日本の昔話として進化したのなら、そのモデルとなるカメは<ニホンイシガメ>であるはずなのです。
江戸時代の庶民達がリクガメの存在を知っていたとはとても考えにくいからです。
(某「うさぎとカメ」の絵本表紙。完全にホシガメかな・・・?)
<ニホンイシガメ>は想像よりも素早い生き物です。
そんな<ニホンイシガメ>しか知らない江戸時代の庶民達がはたして、カメが鈍い象徴のように描かれている<うさぎとカメ>をすんなり受け入れる事ができたのでしょうか?
かなり、本題の「うさぎとカメ」にでてくるカメは何カメなのか?から話がそれてしまいましたが・・・今日ここで書いておきたい事は何か?
まずイソップ寓話が伝わったのが室町時代だとして、その中に<うさぎとカメ>も含まれていたのか?
仮に描かれていたとして、その内容は当時の庶民達にとって受け入れがたい内容(カメが鈍いなんて、とても理解できなかったでしょうね。)だったのではないか?
そんなこんなを自分で仮説(妄想とも言う)をたてながら楽しんでいる今日この頃です。
ですので、この「うさぎとカメ」のネタをもうちょっと引っ張りたいと思っています。
それでは今日はこの辺で失礼します。
続きはまた後日w
最後まで読んでいただきありがとうございました^^
PS:山の中の溜池でこんなのを捕獲しました。
海まで直線距離にして10km以上・・・本当にどうやってきたんだろう・・・
話を聞いてみると割りと目撃はされてるみたいです。
モクズガニ
カメを釣ろうと臭い袋を出してたら、この方が網をちぎって中身がボロボロでちゃう有様で・・・
こんな山の上でもいるものなんですねぇ・・・結構な大物でビビりました。




