今週の週次ブログですが、何かの本で読んでとある話に端を発し、

色々な方からお話を伺いまして、整理をさせて頂き書こうと思いました。

 

①相手は、何を認識できるのか。

上記の本の中身にはこういうことが書いてありました。

本というのは、筆者が伝えたいことを1冊にまとめるが、

伝えたいことは1つのものであったとしても、読者というフィルターを通してしか、物事は伝わっていかない。

 

語彙力の問題や、言葉の選び方の問題でなはなく、

いかに具体例を活用しようが、伝わる言葉で書こうとも

結局は読者が認識できる範囲で伝わり、読者の認識したこと=本で伝えたことになるのである。

 

というようなことです。(正確には覚えてませんが)

 

何が言いたいかというと、物事を誰かに伝える際には、

「何を伝えればいいか考えよう」「どう伝えればいいか考えよう」ではなく、

「何を相手が認識できるのかを考えよう」ということが大事になるということです。

 

「何が伝わったかということは、相手が何を受け取ったかに依存」すると私は思うのです。

 

芸術のような個性が味になる(別に理解を求められていない)ものだったり、

本のように一般化して書かないといけないものに関しては、いいと思うのですが、

特に1対1(数人)で、誰かに何かをアドバイスするということや、伝えたい、

伝えたほうが良いものがある場合は、この相手の認識状況を加味する必要があります。

 

つまり、話をするうえで、自分の経験則を話すや、自分の考えを述べるのは良いのですが、

相手の立場から話をする、相手から始めるということが大切になるわけです。

 

②今どういう心境(現在の心)にあって、何を期待(未来の心)しているのか。

では、相手の認識状況を加味して話す上で、何を理解するべきなのかということですが、

 

私としては、心境と期待となります。

 

相手の心を理解しなさいということは言わずもがなと思いますが、

それを知るためには、今どういう状況に立たされており、それをどうとらえているのか、

そして自分の言葉から何を期待しているのかだと私は思いました。

 

酷く落ち込んでいるときに、正論を言われても納得できない経験や

きちんとしたアドバイスが欲しいのに、大丈夫よくやってるよ、という励ましの言葉で終わったりなど、

あれって思う経験は誰もがしたことがあると思います。

 

この前提というものを会話の中で覆すのはかなり難しいです。

(ネットで口論になって片方が折れるのを見たことがないと思いますが、それほどではないにしろ、難しい)

 

例え、今の状態に流れていくと間違った方向に行くなと思ったとしても、

いったんは我慢、人は受け取られないことには、伝わらないので、

まず相手を理解し、共感し、前提を把握して、言葉のチョイスや伝えるもの、伝え方を変えていく。

 

と偉そうに書いてはおりますが、私もこの部分は永遠の課題といいますが、

難しい部分もあって、よくなかったなと反省することが多く、自戒の意味も込めて書いております。

 

特に焚きつけるコミュニケーションをとって、相手の火をつけられる人は本当にすごいと思います。

嫌われるリスクとか色々あるとおもうんですよね。

僕は買えるABEMATVの伊達さんと以前に飲みに行かせて頂いたときに、

なんてこの人は言葉の選択や伝え方が上手なんだろうと、めちゃくちゃ思ったのを思い出しました。

 

さておき、前提の把握をして、よしこれを伝えようとなった後に、

最も重要なものが「引き出しの多さ」だと私は思ってます。

 

この「引き出しの多さ」に関しては、次回書きたいと思います。

 

③受け取る側は、認識できているということを伝える

 

補足的にこの章を付け足しましたが、

上記で色々なことを書きましたが、受けて側に変えると、

受け取る側は、「自分の受け取っているものは、自分が認識している範囲で得たもの」

ということを理解する必要があると思います。

 

そのため、「この理解で認識相違ないか」ということを聞くほうがいいと思います。

 

また、達人でもない限り、

自分の詳細のことを理解して話してくれるのは逆にそれほど多くないと思います。

というよりも

 

お客さんとの会話でなくても、

こうしたほうが良いよというアドバイスに関しては、それはこうこうだから、こうする方がということですかね?

という。。

 

いや、書いて思いましたが、果てしないですね。

 

おわり