今週の週次ブログは「宮本武蔵」を題材に強さについて考察してみたいと思います。
宮本武蔵は言わずと知れた江戸時代の大剣豪、巌流島の戦いや吉岡一門との闘いが有名ですね。
武蔵は日本一の強さを求めて旅をするのですが、
「宝蔵院の槍術」で有名な日観のもとを訪れます。
その日観はもう隠居をしているのですが、畑仕事をする姿をみて、武蔵は九尺も跳びのくわけです。九尺は2メートル70センチぐらいですね。
刀だったら普通は届かないくらいの距離まで宙を飛ぶのですが、実際は日観は鍬で畑仕事をしているだけです。
日観は武蔵に「私の殺気を感じて、それを避けて跳んだつもりだろうけど、そうではないのだ。」
「あんたが畑に入ってきた時からものすごい殺気で来ていたのだ、私は鏡みたいなものでその殺気を感知しているだけで、こちらからは何もさっきを出していないのだ。それなのに、自分の殺気を私が感知していることを逆に感知して、私から斬りかかられるような気になって、九尺も跳んで避けたのだ」と…
その日観がこういうアドバイスをします。「おぬしは強すぎる。もっと弱くなりなされ」と
もっと弱くならないといけないというアドバイスをしたのでした。
要するに、「ただただ強ければいい」というものではないのだと。
本当に強いものとは、強さだけはなく、その中に「弱さ」つまり「柔らかさ」がなくてはダメだと
「自分は賢いんだ」「自分はこんなに強いんだ」「殺気にあふれて見るからに強い」という強さではだめで、みなに認めてもらうために仕事をしているのでは本当に強いものだとは言えない
「和光同塵」という言葉がありますが、それと同じで周りを刺激せずに普通の人のようになじんで、周りの人の空気を壊さずにいられる人、境地を目指しなさいということですね。
つまり真に強きものは、真に謙虚でもあれということだと思います。
この一年私は数多くの援助を頂き、数多くの失敗も経験させて頂きましたが、普段じゃ考えられない成功も頂きました。
そんな時に自分のピークを作ってはダメで、自分がすごいなんて1ミリでも思ったり
周りに出しているようでは本当にダメだと思います。
今年1年の成功は捨て去って、こういう時にこそ謙虚に。
本当に強い人でありながら、人の痛みがわかり、謙虚に努力できる本当の弱さも知った人
そういう人になれるように来年も頑張りたいと思います。