8月も終わり、弊社の2020年度が間もなく終わろうとしています。
時たま後輩からの質問で、過去の自分にアドバイスをするとすると何を伝えますか?ということを聞かれることがあって、「社会人は短距離走ではなく、長距離走だ」かなと。
もちろん、短距離走的に「ここぞ」というところでギアを上げるタイミングはありますが、やっぱりパフォーマンスにブレがある人よりも、安定的に高いパフォーマンスを発揮している人のほうが重宝される、というかまぐれではない再現性の高い成果が常に求められることになります。
1年目や2年目の時は特に、「できない自分」というものと徹底的に戦うことになり、「隣の芝生が青く見え」、ゴールなんて見えないように見え、辛いことも多かったのが自分の体験です。
自分は新人賞を取ることもできなかったのですが、自分のトレーナーだった先輩は「全社最優秀新人賞」を取っている人、僕のトレーニーは「全社新人賞」、周りに比べて才能なんてそんなにないなという劣等感も嫉妬心もたくさん抱きました。
ただ、4年目になり僕なりに少しずつできることも増え、1年目/2年目に比べると見違えるほど成長したなと実感しています。
そんな私が今振り返って「この長距離走的戦い方」について書き記しておきたいなと。
①一足飛びの成長を求めない
成果や成功は色々な人の協力を得ることで、自分の力の何倍もの結果を生み出すことはできますし、自分ひとりでやるより、多くの人の協力を得て、ひとりでやること以上の成果を上げる方が良いと思います。
ただ、成長に関しては一足飛びのものなどないと思います。そして、理想の自分とできない自分のギャップに苦しみ、自己卑下する人も多いのではないでしょうか。(僕もそうです)
僕自身、今期は戦略局マーケGという新規提案を中心に行う部署に抜擢頂き、僕以外の方はCA最高ランクのエグゼクティブの皆様、入った当時はその実力の違いに無力感も正直感じました。
最初は焦って、やみくもにいろいろな資料を見たり、意味のない相談をしたり、的外れな努力をしていたことが正直ありました。そんな自分も「一足飛びの成長を求めては苦しみだけを作って無駄なことも増える」「でも課題を明確化し努力すれば必ず理想に近づいていく」と感じ、
自分ができていないと思うポイントを知る・課題点を浮き彫りにする・努力できるポイントとそうでないポイントを分ける・スケジューリングする。という整理の元進めていくことにしました。
例えば、実践でしか得られない微妙な知見とかに関して悩んでも仕方ありません、解決策はより多くの戦場に立つになります。ただ、パワポの資料をきれいに作れるようにする、という課題に関しては後天的な努力(きれいな資料を見たり、作り方を学んだり)で解決できます。
事実パワポの資料作成が超絶苦手で下手だったので相当ここは1.2カ月努力して少しずつ良くなりました。(普段の資料をエクセル→パワポに全て変更して経験を積んだり)
それぞれ課題点と打ち手、そしてスケジューリングによって、少しずつ理想に近づくことができていると思いますし、そのスケジューリングを2カ月だったものを次は、1カ月にできないかなということも考えるとなお良さそうでした。
ここは僕も今後も意識していきたいなと思います。
②蓄積を怠らず、大きな氷山を作る
長距離走を走るというのは、「健康状態を維持する」と似ているところがあります。つまり、やばくなってからでは遅い。
健康も同じように病気になってから色々な薬を飲んだり、体を鍛えたりしますが、本来は病気に意識して普段からケアをしてることが重要。(自分ももっと走らなきゃ)
チャンスやピンチというのは突如やってきます。その時に、今から勉強しますという後手に回っていると、結果を出すことはできません。
スポーツなどでも準備が最も大事とあると思いますが、普段から蓄積を行い、人の話を聞いたり本を読んだり、自分で思考する習慣を取ることで、少なくとも知識レベルでの学びは得ることができます。
氷山というのは、海面から出ている部分はほんの1部分で、水面下に大きな山のような氷たちによって支えられています。そのように普段から様々な方法で蓄積を行うことで、安定感が出てくるなと。
失敗も成功もなぜかと考えて、再現性を蓄積し、血肉としていければよいなと。
③常に少しずつ前進しているという実感を味わうこと
自転車で、唯一足を付けずに、倒れない方法があります。
そう、ペダルを回して、常に前進しているときです。
人は成長実感を得られないときには、ペダルをこぐのをやめてしまいがちになる、そして倒れてしまうのではないか、というのが僕の実感としてあります。
自転車の目的地がゴール、ペダルをこぐが自分の目標に対するアクションだとすると、この前進している感覚というのが成長実感と考えます。
成長実感は、見たことない景色(自分の成果物のレベルアップなど)を見たときに実感することはありますが、そういう明らかな成長っていうのは実感値として得にくいのが真実です。
単純な作業をこなしているように見えて成長している、全く景色は変わっていないけど、目標、理想に対しては本当は少しずつ近づいている。
そういう状態なのに、目的に対して前進している感覚を味わえず、関係ない/無駄/などと思ってこぐことをやめてしまう。と。 なんでやってるんだっけと、また意味づけを行う日々。それの繰り返し。
この1日1日の成長実感は、誰かが授けてくれるものではありません。本当の自分を事細かに知ってくれている誰かなんていない、結局は自分で成長したポイントを知る努力をするしかありません。
それは、定量的な成長でなくてもよく、前はこういう状態の時にマイナスに考える癖があったなとか、新しくこういう努力ができたななどの定性的なものでも良いと思います。
必要のない努力であるかどうかは、きちんと上司とすり合わせて行っておくべきですが、今の自分には思えていなくても、将来必要になることかもしれませんし、嫌でもやらなきゃいけないことなんて山のようにあります。
そんな時に、自分が少しでも目標に対して前進しているという実感はかなり心の支えになります。そしてこれは、決して人が与えてくれるものではないのです。
特に自分は4年目になり、当たり前にできることというのが少しずつ増え、成長したな~って誰かに言われることって徐々に少なくなります。というか4年目に過保護にそういうことは伝えないはずですし当たり前です。
自分の場合は、成長したポイントを自分で実感する/同時に伸びしろも実感する。そしてそこを意識して取り組んでみる、再度振り返ってみる。
こういうサイクルを取り入れようと思って、お風呂の時間とかに少し考えたり、日報やブログを書いていることもあるのですが、1分2分でも変わってきます。
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上記色々書きましたが、僕もまだまだできていないことだらけと気づきました。
明日から1週間が新たに始まりますが、また気持ちを切り替えて頑張ってまいります。
おわり(サムネイル画像になんらの意味はないです)