こんにちは!
強み活用アドバイザーの市川です。


戦国の時代に、

23,000人 VS 3,000人

という映画「300」を彷彿させるような
戦いがありました。


23,000の軍を率いる石田三成
それを迎え撃つのはわずか3000の
軍勢を率いる成田長親との戦い

ありました。


しかも、


成田長親の軍勢の多くが農民兵でした。
農民からもある種の人気と支えがあり、
個性的な部下をもつ成田長親は、
(でく)「のぼうさま」と農民から、
直接言われるほどのんびりした武将で
した。


一方で、アクが強くクセのある家臣たち
を束ねようとおもっても簡単にできるも
のではありません。


この時代の農民は。戦争によって首領が
いつかわってもおかしくなく、首の挿げ
替えにすぎないと見抜いていました。
だから、ほとんどの農民は武士に対して
面従腹背であり帰属意識などなかったと
言われています。


そんな中で23,000という最強の石田三成
の軍団を打ち向かえてしまうわけです。


農民もあわせて3000名ではとうてい、
勝てそうにもありません。


しかし、


成田長親は、石田三成から歴史に残る
水攻めをくらいましたが、最終的に
武力によって落城することはありません
でした。


成田長親はどんなリーダシップをとった
のでしょうか?どんなマネジメントだった
のでしょうか。


それは、偉大な戦国武将のようなリーダー
でもなく、見事なまでのマネジメント手法を
発揮したわけでもありませんでした。


どちからといえば、物事がうまくできず、
ぼーっとしている感じの武将でした。
そんな頼りない成田長親を部下も農民も
心配して、「子どもを守る」がごとく、
自ら考え、行動するのです。


ようは、部下と農民まかせだった。。。。


逆に、


それが部下の農民の自律性を促したのかも
しれません。


クセのある武将ということは、それだけで
「強み」と「弱み」がはっきりしている
ことと思います。


変に全体をとりまとめようとすることもなく、
上から視線でも、下からこびるわけでもなく、
ひょうひょうとしていわけです。


自律性があり、
目的性があり、
自分たちの場所を熟知している。



少人数の3,000で23000に立ち向かうのです。
最後の最後まで落ちなかった城といわれて
います。


本当に一人ひとりの「強み」を活用した、
マネジメントとはこういうことを言うのかも
しれません。