
作品データ :
英題 Lucky Dragon No.5
製作年 1959年
製作国 日本
配給 大映
上映時間 107分

1954(昭和29)年3月1日にビキニ環礁での米軍による水爆実験(キャッスル・ブラボー)で被曝した第五福竜丸と、その船員たちの悲劇をドキュメンタリー調に描いた作品。主演は『愛妻物語』(1951年)の宇野重吉(1914~88)。監督は『原爆の子』(1952年)の新藤兼人(1912~2012)。
ストーリー :
1954年3月、焼津港を出たマグロ漁船「第五福竜丸」は、魚を求めてビキニ環礁のあたりにいた。乗り組む23人の漁夫たちは、故郷に妻や恋人や親たちを持つ、平凡な人々だった。船長・笠井太吉はわずか22歳の若さで、船の実権は漁撈長の見島民夫(稲葉義男)が握っていた。苦労人の無線長・久保山愛吉(宇野重吉)は、乗組員たちの信任を得ていた。3月1日の午前3時42分、乗組員たちは夜明け前の暗闇の中に白黄色の大きな火の柱が天に向って立ち上るのを目撃した。6、7分の後、大爆音があたりを揺るがせて響いた。ビキニ環礁で米国の専門家たちによって行なわれた水爆実験であった。立入禁止区域外にいて、何も知らなかった一同の頭上に、やがて真白な死の灰が降り注いだ。3日後、船員たちは灰のついた部分の皮膚が黒色に変わり、身体に変調が生じたのに気づいた。帰港後、焼津協立病院外科主任・大宮医師(永井智雄)の診断により、一同が原爆症と判り、第五福竜丸の船体から放射能が検出されるに及んで、事件は大きく表面化した。物理学者・化学者・生物学者・医師等が焼津に集まり、報道陣が殺到し、日本中の目は焼津に注がれた。報道は世界中に打電され、アメリカからも専門家が調査にやってきた。しかし、彼らは何故か積極的な協力を日本側に与えようとはしなかった。23人の漁夫たちは、東京の病院に移され、日本側医療科学陣の総力をあげて治療が進められた。慰めの言葉や抗議文が、病人たちの枕辺にはうず高く積まれた。外国からも多くの手紙が殺到した。そして、当時まだ珍しかったテレビを贈られて喜ぶ漁夫たち…。しかし、徐々に快方に向かいだす若い船員たちをよそに、年長者の久保山愛吉だけは病状が悪化する一方だった。被曝から半年、ついに久保山は妻(乙羽信子)・母(毛利菊枝)・子・船員・医師らに見守られながら、「身体の下に高圧線が通っている…」と絶叫しつつ息を引き取るのだった―。
▼ Full Movie :
▼ cf. 「第五福竜丸の被災と久保山さんの死」(1954年“NHK10大ニュース”) :