映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』 | 普通人の映画体験―虚心な出会い

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2017年11月10日(金)下高井戸シネマ(東京都世田谷区松原3-27-26、京王線・東急世田谷線下高井戸駅から徒歩2、3分)で、17:50~鑑賞。

            ↓ by Saul LeiterFootprints≫ 1950年頃 発色現像方式印画
ソール・ライター「足跡」
           [縦長で中心を外した構図など、日本の浮世絵(⇒ジャポニスム)の影響が顕著に見られる作品。]

作品データ
原題 IN NO GREAT HURRY:13 LESSONS IN LIFE WITH SAUL LEITER
製作年 2012年
製作国 イギリス アメリカ
配給 テレビマンユニオン
上映時間 75分

米国(NY)公開日 2014年1月3日
日本公開日 2015年12月5日

「ソール・ライター」

伝説の写真家ソール・ライター(Saul Leiter、1923~ 2013)の半生を、本人へのインタビューを中心に辿ったドキュメンタリー映画の秀作。1940年代からカラー写真に挑み、一流ファッション誌での活躍を経て、80年代に一線を退いた、しかし齢80を過ぎて再評価され、一躍“時の人”となった老写真家が、昔を回想しながら、写真哲学(芸術に対する思い)⇔人生哲学(人生の奥義)について淡々と話を続ける。これまで数々のCMを手掛けてきた監督のトーマス・リーチ(Tomas Leach、1978~)にとっては、本作が初の長編ドキュメンタリーとなる。なお、日本語字幕は日本を代表する海外文学の翻訳家・柴田元幸が担当。

ストーリー
1940年代から絵画のように豊かな表現力でニューヨークを撮影したカラー写真の先駆者であり、『Harper’s BAZAAR』や『VOGUE』など有名ファッション誌の表紙も飾った希代の写真家ソール・ライター。しかし、芸術性よりも商業性が強くなったファッション写真になじめなくなり、次第に表舞台から姿を消していく。成功や名声に無頓着な性格だったライターは、個人的な作品を一切発表せず、晩年近くまで一部の批評家だけが知る存在。ところが2006年、写真集で定評のあるドイツのシュタイデル社から初の作品集『Early Color』が出版されると、この、80歳を超えた“忘れられた巨匠”は世界中で熱狂的に迎えられ、パリのアンリ・カルティエ=ブレッソン財団では初の個展も開かれた。そして今も、多くの国で回顧展や作品集の出版が続いている。彼の作品が私たちの心に強く響くのはなぜか?「人生で大切なことは、何を手に入れるかじゃない。何を捨てるかということだ」という持論で、NYイースト・ヴィレッジでの静かな暮らしを愛したライターの晩年に密着して、30代の若き英国人ディレクターが尋ねた“急がない人生で見つけたこと”とは?彼の人生が我々に語りかけるものとは何か…。

◆本作はトマス・リーチ監督による、ソール・ライター本人に対する取材・インタビューで構成されている。タイトルに「13のこと(13 lessons)」とあるように、全体を13幕に区切って、それぞれのトピック、テーマでソール・ライターとの対話や、彼と街を歩いたり、プリントを委託しているギャラリーを訪れたりするクリップをまとめている。
この13幕物は心を込めて作られた1冊の本の頁をゆっくりと捲るように進められる。第1幕は、カメラ。ライターとカメラの出会いが語られる、という具合に…。
ライターの“語り”は印象深い。ちょっとネガティブでシニカルな、けれど根底に飾り気のない温かさが流れている独特の「文体」の一人語り―。豊富な語彙の中から言葉を紡ぎ出しながら、機知の閃きの中でふわふわと空中に浮かんだ「何か確かなもの」を掴み取るという語り口だ。撮影当時90歳近かったライターの、限りなく味わい深い内面⇒言葉~「おじいちゃんの知恵袋が13個」~が少しずつ、ゆったりと紐解かれていく…。

ライターは1980年代以降、忘れられた存在として、色彩とフォルムの純粋な美しさを捉える“自分の作品”を創造する「隠遁生活」へ入った。彼はイースト・ヴィレッジのアパートとその界隈が存在すれば、写真を撮り続けられれば、また絵を描き続けられれば、それで満足だったのだ。そして、2006年の『Early Color』の出版で忘却の淵から引きずり出され、名前が知られるようになっても、彼の生活が変わることはなかった。毎朝起床すると絵を描き、カメラを持ってストランド書店まで散歩へ行く。散歩の途中でコーヒーを飲み、帰宅したら愛猫レモンの世話をする。たまにインタビューを受けることもあるが、自分の作品を語ることが嫌いだったライターとのインタビューは大体失敗に終わったという。

本作の中で随所に挿入されるライターの作品(芸術写真)は、素晴らしく繊細で気品に富む。それは、絵のような写真であり、写真のような絵であり、一目で惹かれるほどのもの。色彩はひとしお鮮やかで、構図は大胆かつ斬新!しっとりと残像を漂わすとともに、じわっと郷愁を誘う…。いつもそこにある世界の片隅から美しい小片を切り取る「自由な感性」~絵画で培われた色彩感覚、ものを見つめる内省的な視点、独特なユーモア、エレガンスに対する適確な理解など~の持ち主にして初めて創造可能な“無二”の写真世界!

メモ 確固とした姿勢を貫きながらファインダーを覗き続け、世界を見据え続けてきたライターの、まさに時の重みを感じさせる“言葉”の数々(WORDS) :
――見るものすべてが写真になる(All seen things will be a picture)。
生涯、美の探求者であったライターは、「私たちが見るものすべてが写真になる」という言葉を残している。世界のどんな些細な断片、どんな匿名的な存在にも、ハッとするような美しさが見いだせる、ということを彼の作品は静かに示唆してくれる(いわく、「人生の目的は幸福なんかではない、美の探求(“A Search for Beauty”)だ」⇒「写真はすべてのものの大切さを教えてくれる」)。
――雨粒に包まれた窓の方が、私にとっては有名人の写真より面白い。
――重要なのは、どこである、何である、ではなく、どのようにそれを見るかということだ。
――写真家からの贈り物は、日常で見逃されている美を時折提示することだ。
――人間の背中は正面より多くのものを私に語ってくれる。
――私が写真を撮るのは自宅の周囲だ。神秘的なことは馴染み深い場所で起きると思っている。なにも、世界の裏側まで行く必要はないんだ
――私が好きな写真は、何も写っていないように見えて、片隅で何か謎が起きている写真だ。
――写真はしばしば重要な出来事を取り上げるものだと思われているが、実際には、終わることのない世界の中にある小さな断片と思い出を創り出すものだ。
――私は注目を浴びることに慣れていない。私が慣れているのは放っておかれることだ。
――取るに足りない存在でいることには、はかりしれない利点がある。
――私は物事を先送りにする。人が深刻に考えることの中にはそれほど重要ではないことが多い。
――本当のものは、隠れた世界につながっている。

アップ cf. ソール・ライターの年譜
1923年12月3日、ペンシルバニア州ピッツバーグに生まれる。父親はユダヤ教の聖職者ラビ。
1930年代、ニューヨークのタルマディカル・アカデミーで学ぶ。
1935年頃、初めてのカメラ・デトロラを母親に買ってもらい、写真を撮りはじめる。
1940年代、クリーヴランドにあるテルシェ・イエシヴァ・ラビニカル・カレッジで神学生となる。1946年、神学に嫌気がさし同校を中退。画家を志し移住したニューヨークで、抽象表現主義の画家、リチャード・パウセット=ダートと出会ったことで写真への関心が芽生える。
1951年、『ライフ』誌にモノクロ写真のフォトエッセイ「The Wedding as a Funeral」が掲載される。
1953年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された展覧会「Always the Young Strangers」の出品作品に選ばれる。
1957年、『エスクァイア』誌のアートディレクター、ヘンリー・ウルフがソール・ライターにファッション写真の撮影を依頼。
1958年、ヘンリー・ウルフがア―トディレクターに就任した『ハーパーズ・バザー』誌でカメラマンとして仕事を始める。
1960年代~80年代、 『ハーパーズ・バザー』をはじめ『エル』『ショウ』『ヴォーグ(英国版)』『クイーン』『ノヴァ』各誌のためにファッション写真を撮影。
1981年、ニューヨーク5番街にあった商業写真用の自分のスタジオを閉める。
1994年頃、カラー写真制作のためイルフォードから資金提供を受ける。
2006年、ドイツの出版社シュタイデルが初の写真集『Early Color』出版。ミルウォーキー美術館でカラー写真による初の個展「In Living Color:Photographs of Saul Leiter」開催。
2008年、パリ、アンリ・カルティエ=ブレッソン財団で「Saul Leiter」展開催。
2009年、ニューヨークのクノードラー・ギャラリーで30年にわたって制作された絵画作品の初の展覧会「Saul Leiter Paintings」開催。
2012年、トーマス・リーチ監督によるドキュメンタリー映画『In No Great Hurry:13 Lessons in Life with Saul Leiter』製作。
2013年11月26日、ニューヨークにて死去。享年89歳。
2015年、ソール・ライターの作品を管理する目的でソール・ライター財団創設。

アップ cf. タカザワケンジ(写真評論家、ライター)のレビュー「光と色、構成に独特の個性を発揮したカラー写真の先駆者( 本作公式サイトReview ) :
大胆で意表を突くフレーミングと、油彩を思わせるこってりとした色のりのカラー写真は、「ソール・ライター」という印象的な名前とともに一度見たら忘れられない。しかし、この写真家が脚光を浴びたのは、八十歳を過ぎてから。それまでは知る人ぞ知る存在だった。
 ソール・ライターは1923年、ピッツバーグ生まれ。父は著名なユダヤ教の学者で息子がユダヤ僧になることを期待していたが、美術に興味を持ったライターは神学校を中退してニューヨークへ行く。1946年のことだ。当時のニューヨークはジャクソン・ポロックやマーク・ロスコなどの抽象表現主義が台頭しようとしていた頃で、ライターが交流を持った画家のリチャード・パウセット=ダートもその一人だった。しかし、ライターは画家ではなく写真の道に進んだ。パウセット=ダートが写真作品を制作していてライターにも勧めたことと、写真家のW.ユージン・スミスと出会ったことがきっかけだった。写真を始めてほどなく、ニューヨーク近代美術館の写真部長だったエドワード・スタイケンに認められ、1953年には、ニューヨーク近代美術館の新進作家展「Always the Young Stranger」に選ばれている。
 しかし、その後、ライターはファッション・フォトグラファーとして「エスクァイア」「ハーパーズ バザー」「英国版ヴォーグ」などで活躍し、アートの世界から遠ざかる。ただし、平行して、自身の作品としてニューヨークや、ヨーロッパのストリートで撮影を続けていた。現在、ソール・ライターの代表作とされているのは後者の写真群だ。
 ソール・ライターが注目されるきっかけとなったのはドイツの出版社シュタイデルから出た写真集『Early Color』(2006年)だった。『Early Color』は、ソール・ライターが1940年代後半からカラー写真に取り組んだ先駆者の一人であり、その光と色、構成に独特の個性を発揮していることを明らかにした。以後、現在までソール・ライターの写真集の刊行、世界各地での展覧会開催が続いている。
 しかし、なぜ、ソール・ライターが評価されるまで長い年月が必要だったのだろうか。その理由を説明するのは、美術館が長らくカラー写真に冷淡だったことを知っておく必要がある。カラー写真は19世紀末に発明され、その後改良を続けながら、普及していった。しかし、カラープリントは写真家自身によるコントロールが難しく、褪色しやすいという問題があり、作品はモノクロで撮影し、現像からプリントまですべてコントロールするのが、アートとしての写真作品を制作する写真家の条件だった。カラー写真はもっぱらファッション、広告のために使われ、美術作品として認められるのは1975年のウィリアム・エグルストン展(ニューヨーク近代美術館)まで待たなければならなかった。
 では、なぜ「いま」ソール・ライターのカラー写真が注目されているのか。一つはデジタル技術の進化により、半世紀近く前のフィルムからも美しいプリントが得られるようになったからだ。また、作品の現代性も見逃せない。近年、アートとしての写真はデジタル技術を駆使した構成的な写真や、あえてフィルムや写真の物質性を前面に押し出す抽象的な作品が人気を集めている。ソール・ライターの作品は合成などの後処理はせず、ストレートに撮影した写真だが、カメラを使って現実を構成し、新たな視覚を生み出しているという点で抽象性も持ち合わせている。今後、ソール・ライターに影響されたという若い写真家が多く登場するはずだ。
 最後に映画について一言。私はこれまで作品を通してしかこの写真家のことを知らなかった。映画を見て、一言ひとこと、立ち居振る舞いに味があり、ああ、こういう人物だからこそ、あの独特な写真を撮れたのだなと納得した。ソール・ライターは同世代のリチャード・アヴェドンやダイアン・アーバスといったスター写真家に比べれば決して派手な存在ではなかった。映画のなかで「大した人間じゃない。わざわざ映画にするような価値などあるもんか」と語っているのは謙遜ではないのである。しかし、生涯を通じて写真に対するスタンスが一貫していたことは、この映画を見るとよくわかる。ソール・ライターは残念ながら2013年に亡くなったが、この映画のなかに記録された生活と意見は、作品とともに後世に残っていくだろう。〉


▼予告編



トーマス・リーチ監督インタビュー



▼ cf. 「ニューヨークが生んだ伝説 写真家 ソール・ライター展」(2017年4月29日~6月25日、東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催)紹介動画 :
[本展覧会は、ニューヨークのソール・ライター財団の全面的協力を得て、同財団所蔵の200点以上の写真作品(カラー、モノクロ)、絵画作品、その他貴重な資料を一堂に集め、天性の色彩感覚によって「カラー写真のパイオニア」と称されたライターの創造の秘密に迫る日本初の回顧展である。]