べい太郎のボヤキ -14ページ目

べい太郎のボヤキ

いつもは普通のサラリーマン
時としてカントリースタイルでギター片手にステージへ
音楽が大好きで、楽しいことが大好きで
笑顔が大好きな、普通のおっちゃんです。

そんなおっちゃんが日々の想いをダラダラと書いちゃいます。

なんとかバンド活動も軌道に乗り始めた頃
バンド結成間もなくから参加してくれていたメンバーの訃報が届いた。
寂しい事ですが自らの手で人生を終わらせてしまいました。

もちろん寂しいことばかりじゃなく
再度仕切りなおして、これまで以上に活動に意欲的に向かいました。
あるフォークジャンボリーでは、見事にグランプリを頂き
そのご褒美として深夜の歌番組に出演!
録画とはいえ、2ヶ月間の放送でした^^

この頃のメンバーが現在の礎を創ったと言えるでしょう。
とにかくライブは楽しかった。

ライブが無い間は、メンバーの数人で「開催場所を探す」と言う名目で
あっちこっち飲み歩いたり・・・
また年末の忘年会はメンバーの自宅で酒盛りでした^^
呑んではバンドの行く末を話したりしてましたねぇ。

ただ、この頃もバンドとしてメンバーの構成は磐石とは言えず
本来の相方が体調不良を訴えはじめ、活動を休みがちになって
新たにギタリストを探さなければならない状態で
急遽オーディション的なことをやって急場をしのぐ状態でした。
<その3に続く・・・>
それは8年前の、ちょうど今頃でしょうか・・・
高校の同級生と自宅でギターをかき鳴らしバカをやっていた。
 
その同級生は学生時代から、当時「フォークの神様」と謳われた吉田拓郎氏を人生の師としていただけに
さすがにギターの腕は大したものでしたねぇ
本人が呑むとよく言っていた唯一の自慢話で
 
 俺はね、吉田拓郎のバックバンドのオーディションで最終の二人に残ってよぉ
 最終審査には、拓郎本人が来ててね、
 結果発表の時、本人が言うには・・・・
  「君はさぁ、ギターの腕は有るけど、華が無いんだよねぇ~~」
 結果は落選さぁ~~!!
 
この話、何度聞かされた事だろう・・・
確かに言うように「華」は、全く無かった
これをライブのMCネタにも何度も使わせて戴いた^^
 
バンドを結成し初のリハスタジオに入ったとき、「見学」という名目で来られた人が殊勝な人で
「バンドの練習に俺のお店を使いなよ!」と驚きの発言
「えっ!ホントですか~~!!」と言う言葉も終わらないうちに
氏と一緒に赤坂の瀟洒なピアノラウンジ
平凡な会社員である我々では、そう行けるようなお店じゃない。
 
そこが・・・・・
 
Akasaka Selfish Tokyo のスタートでした。
 
最初はリハとは名ばかりで、ギターを弾いては喋って飲んで・・・
あまりの放蕩さに呆れて何人かのメンバーは去って行きましたねぇ(笑)
当然のコトでしょう。
 
それでも固定したメンバーで初ライブを慣行。
アイロンプリントで作成したユニフォームを全員で着て
赤坂のピアノラウンジで5時間という超ロングランの滅茶苦茶な演奏会でした。
各自持ち込んだ料理を所せましと並べ
中でも店のオーナーでもある氏は寿司屋の大将だったので、豪華な持ち込みお寿司でした^^
 
前日からの風邪っぴきで、全く声が出ないアタシに代わって
みんながボーカリストって感じでしたかねぇ~
 
それ以降、都内のライブハウス・カラオケスナック・野外音楽祭のステージ
とにかくライブに参加しまくった感が有りますね。
一時期は、マンスリーライブと称して、世田谷のお店で毎月ライブを慣行したり。
ギター以外は何も持っていなかったバンドメンバーだったので
このマンスリーライブの売り上げで、譜面台・ミキサー・マイクスタンド・シールド・歌本などを
少しづつ買い集めていったんです。
そう、少しづつね。
 
<その2に続く>
いっやぁ~~~盛り上がりました!!
楽しかった!!
嬉しかった!!
 
沢山のアーティストさんが凄い勢いで盛り上げて戴いた8周年記念ライブ。
これまでいろいろ有りましたが、執念で続けてきて本当に良かったと激感致しました。
これまで携わって頂いたメンバーや仲間、そして毎回ライブに顔を見せてくれたお客様、
全ての方々に感謝!感謝でございます。
 
これから春まで充電期間とさせて戴き、バンドとしての活動を中止させて戴きますが
フル充電の後、再度皆様の前にでられるよう頑張って参りますので
今後ともご贔屓に宜しくお願い申し上げます。
 
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また、逢いましょう!!!!!