テオが危うく交通事故に遭いそうになってしまったその後に、お寺にお参りにきました。
秋夕と旧正月には、旦那の家族と必ずお寺に来ます。シオモニが敬虔な仏教徒だからです。
いつものようにお寺の仏殿に入ろうとした瞬間、テオが急に泣き出しました。
お寺には何回か来たことがあるし、仏殿にも何度も入ったことがあるのに、怖いと泣き出すテオ。
とりあえず、私以外の家族が先に中に入って礼拝し、まだ泣くテオをお願いして、今度は私が1人で仏殿に入りました。
中は3体の大きな仏像。
一体一体に礼拝しながら心の中で、旦那とのこと、このままでは近い未来に起こる可能性のあるテオの大病もしくは怪我…のことを話し、助けてほしいとお願いしました。
その時に
… せよ
… せよ
と言われた気がして、せよ?何をどうするの?と思っていたら
これで終わりにせよ
としっかり言われました。
この世は自作自演。
私が怒るのは、私が自分で入れたフィルムを見ながら、それに対して怒っているだけ。
そのフィルムを入れたのは私自身。
だったらそのフィルムを入れない自分に変わればいい。
目の前の現象を見て、一つの見方を採用して、それに対して怒りを持ち、私が正しいと決めて、相手に怒りをぶつけるパターンはもう終わりにしたい。
人間だから、きっとこの先も怒りがでる。
でも、その度に気付いて、内観し、思考し、納得し、愛が私よりも開いている人ならどう行動するか?で少しずつ変わりたい。
お寺の仏像の前で、誓いを立てました。
怒りが出るたびに、私は怒っているの!と表現して、相手に言いたいことをブチまけて、自分の正当性をひけらかす方がすごく楽だと思うし、そういうやり方もたくさん見て来ました。
けれども、このやり方では愛が回らないし、成長もしない、私の年齢にはふさわしくない。そして私の望む在り方として美しくない。何より、私の手荒れが治らないのは、ボディナビゲーションの観点から見て、このままでは望む未来が掴めないということを物語っています。
パターンを変えないと掴めない。
私の数秘を見れば、愛の回る家庭というものを実現しないと、ゴールには到達できないとも書いています。
それを数秘に書くということは、過去世で何度も失敗して来たから。だから、今世で終わらせたい。
少し前から私のフィルムに、愛の回る家族が二家族も入って来ました。
愛が回るからお金も回り、本当に豊かです。
怒りは箱に詰めて過去に置いていこう。
ミスティックのお話会の時に聞いた言葉です。
そして、自我期を抜けて、大人になっていこう。
私はきっと1人で礼拝する必要があったのだと思います。だからテオがその時間をくれたのだと思います。
