散歩中に、ふと思う。

 

ばっさりと剪定され、枯れ木のように見えたバラの木から、小さな小さな芽が出ている。

この小さな赤い芽が、本当にあのわさわさと茂る葉っぱやでっかい花びらになるの??

秋に見た姿と同じように?柴犬くらいの大きさに育つの?

本当に?

 

目の前の木の小さな芽からは、小さな葉っぱがいくつも出ている。

あぁ、こうやって成長するのか・・知らなかった。

向こうにある木は赤い芽がぽっちり一つだけ。

全くの枯れ木に見える。

 

同じバラを同じ日に剪定しても、成長のスピードは木によって全然違う。

 

それが自然なんだ。

 

私はつい、比べてしまう。

子どもの成長のスピードとか。

自分の仕事のスピードとか、評価とか。

 

あぁ比べるなんて、全く無意味。

一本一本の木の生命力やペースを信じて委ねて見守る。

それだけでいいんだ。

本当はそれしか人間が出来ることなんてないんだ、と。

 

あとは、遊びについて。

 

私は遊ぶことや休むことはほぼムダな行為で、ただの息抜きだからあんまり意味なんてない、と思っていた。

だからせっかく遊んだり休んでいる最中に、罪悪感を感じたりすることもあった。

 

でもこれって植物の葉っぱはムダだから、いらない!

花と実だけにしか、価値なんてない!

と言ってるのと同じようなことなんだ、とふと気づいたの。

 

木が育つとき。

まずは枝に芽が出る。

芽が出て、若葉になり、若葉が分厚く大きくなる。

その葉で日光を浴び、光合成をして栄養を作り出し成長する。

 

その栄養をもとに、花が咲き、実ができる。

 

花は価値があるから。評価されるから。

実はお金になるから。人の役に立つから。

だから、存在していいし意味がある。

 

無意識にそんなふうに思考がいきがちだった。

 

でも本当は、その前に無数の葉っぱがたくさんあって。

そこでさわさわ~~さわさわ~~と風に揺れたりしながら

光合成してるから花や実につながるわけで。

 

葉っぱなんて価値がない・世間で評価されないから、

いらない!いらない!とそぎ落とし、むしりとっていったら。

 

花も咲かないし、実もならない。

そしてだんだんその木自体も枯れて、命を終えてしまうよね。

 

 

芽がでて、葉っぱが出て、その葉の色がだんだん濃くなって、大きく厚くなって。

つぼみができて、ゆっくり開いて、満開になったあとは、1枚1枚花びらが散って。

 

そういう日々の変化を成長を、じっくりゆっくり味わうからこそ喜びが深いよねぇ。

それがこの世に生きてる意味だと信じたい。

 

実なんてなっても、ならなくても、どっちでもいい。

花だって咲いても咲かなくても、どっちでもいい。

目の前のこの木の今この瞬間の姿が最高に美しい。

 

本当に心からそう感じられたら。

目の前のことだけ、一瞬一瞬を味わえたら。

 

その力の抜けた気楽な目線のほうが、、気負いがないから、心もカラダもラクちん。

そしてそのまま進むと、最終的にはすごい場所にたどり着いてしまう。

 

そんな予感がしています。