「当事者研究のナラティブストーリーという面について」 | SELF SUPPORT STUDY

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【当事者研究のナラティブストーリーという面について】


日本の自殺者が毎年三万人前後だということを、比べるとしたら、毎年半分の大きさの原爆が落ちているということになる。戦後70年と言うけれど、まるで戦時中。
いわれなく死ぬ人たちがそれだけいる、社会の仕組みがある。

と、坂口恭平さんは先日トークライブで言っていた。


私は、日頃から思うことがある。

生きることは苦しみだったりする。

もし苦しまず楽しいだけになりたいなら?
楽しく生きるは、幻想。

人が存在するということにはなんの意味があるのか。
苦しみを素材に、如何につながりを作るか?だと思う。


フランクルは、人間は苦悩する存在だという。運命に生かされているのであって、生きる意味を自分で持って生きているのではないともいう。

運命に生かされている意味は、苦しみを介して全世界と交信することだと私は思う。
全世界の苦労人と交信出来るポテンシャルを誰もが持っているから、ありのままで良い。
ありのままとはそういうこと。絶望的に安心して良いことだ。ありのままで誰もが素晴らしい、と言う薄い励ましに違和感を感じるなら、そういうこともすべて含めて、ありのままで良いんだと声をかけたい。

だから、苦痛のさなか、全世界の人々は、「I am KENJI」と声をあげたのではないだろうか。
だが、時と場所をたがえて生まれたなら、私という存在はカダフィにもなっただろう。時と場所をたがえて生まれたなら、アフリカの飢餓のさなかの子供にもなっただろう。それを想うとき、私は、苦悩も共に持って歩むということが連帯だと感じる。


わがことだけじゃない苦しみを、誰もが持っているから、わがことのように直視した人たちにはたまらない。戦時中は終わらない。

でも、生きてみようかな。全世界と交信出来るポテンシャルを私たち人間は持っている。
私という存在はひとりだが、孤独ではない。


だから何だって訳じゃないけど、何にもならないけど、それが人生のセオリーだと思うし、人生のストーリーだと読みたい。

人生のストーリーを読み替えてみよう。今が生きられないなら、全世界のストーリーを読み替えてみよう。

その人間のナラティブな営みも、当事者研究は横断している。
当事者研究は決して単なる対症療法ではなく、生きざまを当事者研究と呼んでも良い。


私は、生きている毎日が研究。


katsuko.