おはようございます。小島です。
毎週火曜は、夜から福岡の卒業生が集まって同窓会の打ち合わせや仕事の話などをやっているのは、学生の皆さんも知っているかもしれませんね。
僕は夜8時半くらいに風街に行ったんですが、ずっとみんなを見てて、時折めまいがするような気分になりました。
それは、
【社会人】
2期・脇山先輩
3期・隈本先輩
4期・永田先輩
5期・青木先輩
6期・吉田先輩
6期・中江先輩
7期・山岡先輩
7期・川良先輩
7期・深川先輩
7期・竹内先輩
----------------
【学生】
8期・山田さん
9期・佐藤さん
10期・羽田野さん
が同じ場所にいたからです。
社会人1年目から6年目の卒業生が一堂に集まり、入れ替わり立ち替わりみんな僕のテーブルに話に来てくれて、一人一人の法人営業や個人営業、社内業務の報告を聞き、
「そうか、みんな、もうそんなことをやるようになったのか」
と一人でしみじみ感慨に耽りました。
特に久しぶりの永田君、吉田さん、川良君、深川さん、竹内君の話は、短いものですがとても感動しました。
皆さんもぜひ、同窓会やOB会で先輩たちを取材しまくるといいですよ。
みな一人も昔と変わらず、いや、昔以上に先輩たちらしく頑張っています。
卒業生ブログ もご覧になりましたか?
石橋君や鶴田君が記事を書いてくれていますよ。
同窓会まであと23日ですから、しっかりチェックしておきましょうね。
さて、先輩たちに報告すべき「大切な結果」と言えば…
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
とみー …どうする?今年。
いさっこ 今年の海釣り塾の結果は、ギリシャの財政なみだ。
とみー まさに、部員総力戦の破局。
いさっこ 春からあれほど「海釣りは楽しい」という公約を掲げてきたのに、いまだ「魚」と呼べる魚は一匹も釣れてない。
とみー 塾生たちの我慢も限界に近いかも。
いさっこ 部員の欲した海釣りで釣果を約束できなかった今、おれはル―デンドルフの気持ちがよく分かる。
とみー もし誰かが「な~んだ、全然釣れないじゃないか」とでも言いだせば、海釣り塾でいつフランス革命が起こるか知れたものじゃない。
いさっこ そうなったら、ウィルヘルム2世のように亡命するほかないな。
とみー 春には「今年は楽に釣れるだろう」と高をくくってたっけ。
いさっこ あぁ。「70センチ」って言った。
とみー しかしおれたちの釣果は…。
いさっこ 今んとこは、まるで民○党だ。
とみー 「海釣りとは、他の手段をもってする学業の延長である」と『敗者の釣り後』にあったね。
いさっこ しかし、釣りは釣りだ。釣りが学業を超越したら、ドイツ陸軍がドイツ帝国を超えたのと同じ逆転現象が起こる。だからおれたちは、あくまで学生として釣りと向き合わないといけない。
とみー 同感。けど…。
いさっこ 仕掛けは踊る。されど釣れず。
とみー 今年前半の海釣り塾は、ウィーン会議のようだ。
いさっこ 「いきいきと釣れよ」には、「いつかは大物が釣れるような釣り方では駄目だ。一投一投がゴールであり、一投が一投としての価値を持たなくてはならない」とあったね。
とみー けど、おれたちは…。
いさっこ いつしか初心を忘れてた。
とみー 「孟子」に、「人、自ら釣らずして、而る後、魚、人を侮る」とあったっけ。
いさっこ 魚がおれたちを馬鹿にしてるんじゃない。おれたちがおれたちを見限ってるんだ。
とみー 最近内定をもらったばかりの就活から、何か釣りに生かせる知恵はないかな?
いさっこ 就活は、あらかじめリクナビやマイナビに登録した企業を、ネットという「釣り堀」の中で探して内定をもらうだけのことさ。
とみー 「釣り堀」…。
いさっこ いわば、インプットの総量が決まっている「クラウド・フィッシング」だ。
とみー なるほど。「どこに何という会社があるか」は、検索すれば分かるもんね。
いさっこ ところが、大自然の広さや複雑さ、精妙さといったら、とてもコンピュータのような歴史の浅いものとは違う。大自然の前には、人間の予測能力なんてタコ以下で、「検索」なんて不可能だ。
とみー 確かに。西部戦線にはスズキ、東部戦線にはチヌ、なんて分かりやすいカテゴリーはないよね。
いさっこ 本能に従って生きてるだけの魚に、記憶力や想像力を持つ人間がまったく歯が立たない。
とみー その意味では、魚はとても客観的でありながらも、同時に超主観的とも言えるね。
いさっこ 大自然の前に人間が築き上げてきた理論なんて、所詮、分からない部分を都合よく捨象した「仮説」に過ぎないんだ。
とみー 論理こそ感情的で主観的であり、理屈は後からいくらでも付く、どうにでも付く、ってのは、『昭和の釣り史』にも書いてあったね。
いさっこ あっちで一匹跳ねれば、「よっしゃ、あそこにボラがいるってことは、中層にスズキが群れているって証拠だ」なんて感じでね。
とみー でも、相変わらず釣れない。
いさっこ そして、「昨日の大雨で潮位が上がったから、今日はベイトの流れがいつもとは違うんだ」なんて言ってしまう。
とみー まさに、論理ほど感情的かつ主観的なものはないね。「釣り人は、知らず知らずのうちに自分の知覚を操作している」と、『主役としての海釣り』に書いてあった。
いさっこ 海は何万年も変わらずそこにあるのに、海をありのままに見るだけで、なんて難しいんだ!
とみー 結局、海が教えてくれるのは、「釣り人は、ボウズからは何も学ばない」という釣りの歴史の本質だけなのか…。
いさっこ 面接なら、落ちた理由を数回詳しく分析すれば目に見えて成果が出たのに、釣りはそんなに甘いもんじゃない。
とみー 小島さんも、法人営業よりも海釣りのほうが何倍も難しい、ってよく言ってるよね。
いさっこ 「同じことばっかりやってると調子に乗って慢心するから、自分がどうしようもない素人だって事実を定期的に味わえる場を持ちたい」っていう釣りの動機は、おれも賛同できる。
とみー いさっこは釣り歴けっこう長いけど、それでもまだ素人って感じる?
いさっこ うん。やればやるほどね。大物が釣れた時ほど、どうして釣れたのか全く分からないことが多い。その時の体感的、直感的条件を次に再現したら、翌日は終日釣ってゼロなんてことはザラにある。
とみー 「不確実を確実に変えた!」という人間の根源的充足感を、わずか一日にしてあざ笑うかのように粉砕する海釣り…なんて恐ろしいんだ!
いさっこ 海では、バブル景気の一時間後にリーマンショックなんてのは当たり前だ。
とみー それにしても、あと二週間もすれば、みんな前期試験が終わるよ。
いさっこ 何が終わる?おれたちの真の試験は、その後から始まるんだ。魚は簡単には単位をくれない。海は永遠に卒業証書をくれない。おれは今年、近現代と釣りで、かつてないほど人間の弱さを感じてるよ。
とみー 釣りとはまさしく、「考えることを考える修行」だね。
いさっこ このままじゃ、海釣り塾の正統性がかつてないほどの危機にさらされ、ル―デンドルフやナポレオン、いや、レーニンさえ現れるかもしれない。
とみー おれもその危機を感じる。だからこそ大学の授業、FUN、塾のバイト、前期試験、はりまやという、ヴェルサイユ体制なみの過酷な条件の下にある今も、ゼークト将軍のように、来るべき時に備えてこつこつと再武装に励んでる途中だ。
いさっこ 今や、子供でも釣れるアジゴ、コノシロ、ボラが釣れただけで、みんな「とにかく釣れたからよかった」と言うようになりつつある。
とみー どこにでもいて、誰でも釣れる、そんな希少価値の低いありふれた魚の価値がそこまで高まるなんて、まるで第一次大戦後のドイツで起きたハイパーインフレと同じじゃないか。
いさっこ 物価が一ヶ月で300倍に上がったっていう、例のインフレだね。
とみー 300回投げて最後に一匹だけアジゴが釣れれば、そのアジゴの感覚的価値は300倍に高まる。
いさっこ でも、他のアジの300倍おいしい、ってわけじゃない。
とみー アジはアジ。それが、釣れなければ、一瞬で最大の気休めを与えてくれる魚になり上がる。
いさっこ 何十社も面接を受けて最後に出会った会社が、就活を始めた頃には「絶対に行きたくない」と考えていた種類の会社だっていう学生も多いけど、それと同じだね。
とみー 「ニートにならなくてよかった」と同じく、「ゼロじゃなくてよかった」という限りにおいての価値で、本来求めていた価値とは明らかに違うのに、人間は当初求めてもいなかった成果を、苦痛から解放されたい余り、巧妙に正当化してしまう。
いさっこ そしておれたちは、その分だけ余計魚にもてあそばれるようになってゆく。
とみー 結局、おれたちは自分たちの小遣いを投じて、魚たちに大量のエサを配りに行っていただけなのか。
いさっこ ヒトラーの本質を見抜けなかったネヴィル・チェンバレンを笑う資格は、おれたちにはない。
とみー スターリンの本質を見抜けなかった松岡洋右を笑う資格もない。
いさっこ 魚は最初から、ただエサを狙っていただけ。魚はエサをくれる限りにおいて人間に近付くんであって、エサさえもらえば人間なんて関係ないんだ。
とみー 魚たちは毎日、毎時間、毎分が過酷な生存競争で、それが生まれた時からの定め。おれたち人間とは鍛え方が違う。生半可な決意じゃ、決して勝てるわけがない。
いさっこ 破局から何を学び、破局からどう脱するか。近現代でおれたちが毎週学んでいる西洋近代史は、まさにおれたちが今、博多湾で直面している現実そのものだ。
とみー これからは、タレーランのように「相手の要望」で釣ろう。おれたちの「釣りやすさ」なんて、営業マンの「営業しやすさ」なみに意味がないんだから。
いさっこ 魚は「食べやすさ」しか問題にしない。就活で「言いやすい志望動機」が往々にして「聞きやすい志望動機」ではないのと
同じだね。
とみー おれたちは気を抜くとすぐ、エサじゃなくてハリばかり振り回す。就活でもバイトでも、日常生活でも。
いさっこ 魚はおれたちに全てを教えてくれる。
とみー 「釣るヒント」にも、「魚は黙っていてもあちらから近付いてくるようなものではなく、こちらから推参しなければ決して見はるかすことのできないものである」と書いてあったのを思い出すよ。
いさっこ 竹中さんは、そんな気持ちで歴史、伝統と向き合い、卒論を書きあげたよね。
とみー じゃ、おれは「卒業フィッシング」をやるぞ!尊敬する竹中さんのやったことは、なんでもお手本にしたいから。
いさっこ やめたほうがいい。ウィルソン大統領のように空手形を降り出して終わり、なんてことになりかねない。
とみー …。
いさっこ 釣りはそんなに甘いもんじゃない。大自然相手に、卒業なんて永遠にありえない。その気持ちに徹しなければ、おれたちは決して成長することはできないんだ。
とみー そうだった。竹中さんを尊敬するなら、同じように卒論を書けばいいのに、おれは知らず知らずのうちに「卒業フィッシングをしたい」なんて自分をごまかしてた…。
いさっこ 永井さんも、「青年の思索のために」に出てきた老職工のように、何十年もずっと同じ場所で工学の道を突き進むって語ってくれたじゃないか。
とみー そうだった。
いさっこ 永井さんのように、究めたいという情熱と、究め尽くせないほどの巨大なものを相手にしているという謙虚さがあってこそ、初めて工学や釣りの何たるかが見えてくるんだと思うよ。
とみー …釣りにはおれが1年の秋からFUNで学んできた全てが詰まってるのに驚くばかりだ。まさに『論語物語』最終章「泰山に立ちて」の孔子と同じ心境だ。
いさっこ おれたちも「湾岸に立ちて」の心構えで、もう一度チャレンジしよう!
●○●○●○● おまけ ○●○●○●○
毎週火曜は、夜から福岡の卒業生が集まって同窓会の打ち合わせや仕事の話などをやっているのは、学生の皆さんも知っているかもしれませんね。
僕は夜8時半くらいに風街に行ったんですが、ずっとみんなを見てて、時折めまいがするような気分になりました。
それは、
【社会人】
2期・脇山先輩
3期・隈本先輩
4期・永田先輩
5期・青木先輩
6期・吉田先輩
6期・中江先輩
7期・山岡先輩
7期・川良先輩
7期・深川先輩
7期・竹内先輩
----------------
【学生】
8期・山田さん
9期・佐藤さん
10期・羽田野さん
が同じ場所にいたからです。
社会人1年目から6年目の卒業生が一堂に集まり、入れ替わり立ち替わりみんな僕のテーブルに話に来てくれて、一人一人の法人営業や個人営業、社内業務の報告を聞き、
「そうか、みんな、もうそんなことをやるようになったのか」
と一人でしみじみ感慨に耽りました。
特に久しぶりの永田君、吉田さん、川良君、深川さん、竹内君の話は、短いものですがとても感動しました。
皆さんもぜひ、同窓会やOB会で先輩たちを取材しまくるといいですよ。
みな一人も昔と変わらず、いや、昔以上に先輩たちらしく頑張っています。
卒業生ブログ もご覧になりましたか?
石橋君や鶴田君が記事を書いてくれていますよ。
同窓会まであと23日ですから、しっかりチェックしておきましょうね。
さて、先輩たちに報告すべき「大切な結果」と言えば…
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
とみー …どうする?今年。
いさっこ 今年の海釣り塾の結果は、ギリシャの財政なみだ。
とみー まさに、部員総力戦の破局。
いさっこ 春からあれほど「海釣りは楽しい」という公約を掲げてきたのに、いまだ「魚」と呼べる魚は一匹も釣れてない。
とみー 塾生たちの我慢も限界に近いかも。
いさっこ 部員の欲した海釣りで釣果を約束できなかった今、おれはル―デンドルフの気持ちがよく分かる。
とみー もし誰かが「な~んだ、全然釣れないじゃないか」とでも言いだせば、海釣り塾でいつフランス革命が起こるか知れたものじゃない。
いさっこ そうなったら、ウィルヘルム2世のように亡命するほかないな。
とみー 春には「今年は楽に釣れるだろう」と高をくくってたっけ。
いさっこ あぁ。「70センチ」って言った。
とみー しかしおれたちの釣果は…。
いさっこ 今んとこは、まるで民○党だ。
とみー 「海釣りとは、他の手段をもってする学業の延長である」と『敗者の釣り後』にあったね。
いさっこ しかし、釣りは釣りだ。釣りが学業を超越したら、ドイツ陸軍がドイツ帝国を超えたのと同じ逆転現象が起こる。だからおれたちは、あくまで学生として釣りと向き合わないといけない。
とみー 同感。けど…。
いさっこ 仕掛けは踊る。されど釣れず。
とみー 今年前半の海釣り塾は、ウィーン会議のようだ。
いさっこ 「いきいきと釣れよ」には、「いつかは大物が釣れるような釣り方では駄目だ。一投一投がゴールであり、一投が一投としての価値を持たなくてはならない」とあったね。
とみー けど、おれたちは…。
いさっこ いつしか初心を忘れてた。
とみー 「孟子」に、「人、自ら釣らずして、而る後、魚、人を侮る」とあったっけ。
いさっこ 魚がおれたちを馬鹿にしてるんじゃない。おれたちがおれたちを見限ってるんだ。
とみー 最近内定をもらったばかりの就活から、何か釣りに生かせる知恵はないかな?
いさっこ 就活は、あらかじめリクナビやマイナビに登録した企業を、ネットという「釣り堀」の中で探して内定をもらうだけのことさ。
とみー 「釣り堀」…。
いさっこ いわば、インプットの総量が決まっている「クラウド・フィッシング」だ。
とみー なるほど。「どこに何という会社があるか」は、検索すれば分かるもんね。
いさっこ ところが、大自然の広さや複雑さ、精妙さといったら、とてもコンピュータのような歴史の浅いものとは違う。大自然の前には、人間の予測能力なんてタコ以下で、「検索」なんて不可能だ。
とみー 確かに。西部戦線にはスズキ、東部戦線にはチヌ、なんて分かりやすいカテゴリーはないよね。
いさっこ 本能に従って生きてるだけの魚に、記憶力や想像力を持つ人間がまったく歯が立たない。
とみー その意味では、魚はとても客観的でありながらも、同時に超主観的とも言えるね。
いさっこ 大自然の前に人間が築き上げてきた理論なんて、所詮、分からない部分を都合よく捨象した「仮説」に過ぎないんだ。
とみー 論理こそ感情的で主観的であり、理屈は後からいくらでも付く、どうにでも付く、ってのは、『昭和の釣り史』にも書いてあったね。
いさっこ あっちで一匹跳ねれば、「よっしゃ、あそこにボラがいるってことは、中層にスズキが群れているって証拠だ」なんて感じでね。
とみー でも、相変わらず釣れない。
いさっこ そして、「昨日の大雨で潮位が上がったから、今日はベイトの流れがいつもとは違うんだ」なんて言ってしまう。
とみー まさに、論理ほど感情的かつ主観的なものはないね。「釣り人は、知らず知らずのうちに自分の知覚を操作している」と、『主役としての海釣り』に書いてあった。
いさっこ 海は何万年も変わらずそこにあるのに、海をありのままに見るだけで、なんて難しいんだ!
とみー 結局、海が教えてくれるのは、「釣り人は、ボウズからは何も学ばない」という釣りの歴史の本質だけなのか…。
いさっこ 面接なら、落ちた理由を数回詳しく分析すれば目に見えて成果が出たのに、釣りはそんなに甘いもんじゃない。
とみー 小島さんも、法人営業よりも海釣りのほうが何倍も難しい、ってよく言ってるよね。
いさっこ 「同じことばっかりやってると調子に乗って慢心するから、自分がどうしようもない素人だって事実を定期的に味わえる場を持ちたい」っていう釣りの動機は、おれも賛同できる。
とみー いさっこは釣り歴けっこう長いけど、それでもまだ素人って感じる?
いさっこ うん。やればやるほどね。大物が釣れた時ほど、どうして釣れたのか全く分からないことが多い。その時の体感的、直感的条件を次に再現したら、翌日は終日釣ってゼロなんてことはザラにある。
とみー 「不確実を確実に変えた!」という人間の根源的充足感を、わずか一日にしてあざ笑うかのように粉砕する海釣り…なんて恐ろしいんだ!
いさっこ 海では、バブル景気の一時間後にリーマンショックなんてのは当たり前だ。
とみー それにしても、あと二週間もすれば、みんな前期試験が終わるよ。
いさっこ 何が終わる?おれたちの真の試験は、その後から始まるんだ。魚は簡単には単位をくれない。海は永遠に卒業証書をくれない。おれは今年、近現代と釣りで、かつてないほど人間の弱さを感じてるよ。
とみー 釣りとはまさしく、「考えることを考える修行」だね。
いさっこ このままじゃ、海釣り塾の正統性がかつてないほどの危機にさらされ、ル―デンドルフやナポレオン、いや、レーニンさえ現れるかもしれない。
とみー おれもその危機を感じる。だからこそ大学の授業、FUN、塾のバイト、前期試験、はりまやという、ヴェルサイユ体制なみの過酷な条件の下にある今も、ゼークト将軍のように、来るべき時に備えてこつこつと再武装に励んでる途中だ。
いさっこ 今や、子供でも釣れるアジゴ、コノシロ、ボラが釣れただけで、みんな「とにかく釣れたからよかった」と言うようになりつつある。
とみー どこにでもいて、誰でも釣れる、そんな希少価値の低いありふれた魚の価値がそこまで高まるなんて、まるで第一次大戦後のドイツで起きたハイパーインフレと同じじゃないか。
いさっこ 物価が一ヶ月で300倍に上がったっていう、例のインフレだね。
とみー 300回投げて最後に一匹だけアジゴが釣れれば、そのアジゴの感覚的価値は300倍に高まる。
いさっこ でも、他のアジの300倍おいしい、ってわけじゃない。
とみー アジはアジ。それが、釣れなければ、一瞬で最大の気休めを与えてくれる魚になり上がる。
いさっこ 何十社も面接を受けて最後に出会った会社が、就活を始めた頃には「絶対に行きたくない」と考えていた種類の会社だっていう学生も多いけど、それと同じだね。
とみー 「ニートにならなくてよかった」と同じく、「ゼロじゃなくてよかった」という限りにおいての価値で、本来求めていた価値とは明らかに違うのに、人間は当初求めてもいなかった成果を、苦痛から解放されたい余り、巧妙に正当化してしまう。
いさっこ そしておれたちは、その分だけ余計魚にもてあそばれるようになってゆく。
とみー 結局、おれたちは自分たちの小遣いを投じて、魚たちに大量のエサを配りに行っていただけなのか。
いさっこ ヒトラーの本質を見抜けなかったネヴィル・チェンバレンを笑う資格は、おれたちにはない。
とみー スターリンの本質を見抜けなかった松岡洋右を笑う資格もない。
いさっこ 魚は最初から、ただエサを狙っていただけ。魚はエサをくれる限りにおいて人間に近付くんであって、エサさえもらえば人間なんて関係ないんだ。
とみー 魚たちは毎日、毎時間、毎分が過酷な生存競争で、それが生まれた時からの定め。おれたち人間とは鍛え方が違う。生半可な決意じゃ、決して勝てるわけがない。
いさっこ 破局から何を学び、破局からどう脱するか。近現代でおれたちが毎週学んでいる西洋近代史は、まさにおれたちが今、博多湾で直面している現実そのものだ。
とみー これからは、タレーランのように「相手の要望」で釣ろう。おれたちの「釣りやすさ」なんて、営業マンの「営業しやすさ」なみに意味がないんだから。
いさっこ 魚は「食べやすさ」しか問題にしない。就活で「言いやすい志望動機」が往々にして「聞きやすい志望動機」ではないのと
同じだね。
とみー おれたちは気を抜くとすぐ、エサじゃなくてハリばかり振り回す。就活でもバイトでも、日常生活でも。
いさっこ 魚はおれたちに全てを教えてくれる。
とみー 「釣るヒント」にも、「魚は黙っていてもあちらから近付いてくるようなものではなく、こちらから推参しなければ決して見はるかすことのできないものである」と書いてあったのを思い出すよ。
いさっこ 竹中さんは、そんな気持ちで歴史、伝統と向き合い、卒論を書きあげたよね。
とみー じゃ、おれは「卒業フィッシング」をやるぞ!尊敬する竹中さんのやったことは、なんでもお手本にしたいから。
いさっこ やめたほうがいい。ウィルソン大統領のように空手形を降り出して終わり、なんてことになりかねない。
とみー …。
いさっこ 釣りはそんなに甘いもんじゃない。大自然相手に、卒業なんて永遠にありえない。その気持ちに徹しなければ、おれたちは決して成長することはできないんだ。
とみー そうだった。竹中さんを尊敬するなら、同じように卒論を書けばいいのに、おれは知らず知らずのうちに「卒業フィッシングをしたい」なんて自分をごまかしてた…。
いさっこ 永井さんも、「青年の思索のために」に出てきた老職工のように、何十年もずっと同じ場所で工学の道を突き進むって語ってくれたじゃないか。
とみー そうだった。
いさっこ 永井さんのように、究めたいという情熱と、究め尽くせないほどの巨大なものを相手にしているという謙虚さがあってこそ、初めて工学や釣りの何たるかが見えてくるんだと思うよ。
とみー …釣りにはおれが1年の秋からFUNで学んできた全てが詰まってるのに驚くばかりだ。まさに『論語物語』最終章「泰山に立ちて」の孔子と同じ心境だ。
いさっこ おれたちも「湾岸に立ちて」の心構えで、もう一度チャレンジしよう!
●○●○●○● おまけ ○●○●○●○




